NTTの研究所には、研究所長などの上級幹部で残らない限り、50歳前後で勇退するという不文律がある。大学院の修士課程や博士課程を経て20代半ばで入所するので、現役の研究者でいられる期間は20年と少し。一方で、NTT本体は、電話の時代からインターネットの時代に入り、事業基盤の再構築を余儀なくされている。ベールの向こう側にある研究所の実像に迫った。
(「週刊ダイヤモンド」編集部 池冨 仁)
2005年3月8日、米カリフォルニア州オレンジ郡アナハイムには、世界中の通信事業者や通信機器メーカーが集まっていた。
その日、NTT(持ち株会社)の篠原弘道アクセスサービスシステム研究所長(当時)は、光学関係の国際会議「OFC」(Optical Fiber Convention)の基調講演の中で、試作品の写真を見せて「今年中に“折り曲げられる光ファイバー”(光回線)を開発する」と世界に向けて宣言した。
会場に詰めかけた1000人を超える業界関係者は、どよめきの声を上げた。なぜなら、それまで光ファイバーという素材は、施工の際に楕円を描くように緩やかなカーブ状に配線しないと、途中でポキリと折れてしまうというのが常識だったからだ。
光ファイバーは、高速大容量のデータ通信が可能になる一方で、取り扱いが難しいという弱点があり、それが普及のネックになっていた。だが、NTTの篠原たちは、光ファイバーのコードを曲げたり、結んだり、そして引っ張ったりしても切れない状態に加工できる技術を開発中だと明かしたのだから、注目されないはずがない。OFCの閉会後、篠原の前には業界関係者や研究者が列をなし、「NTTは本当にそんなことができるのか?」と質問攻めにした。
その10ヵ月後の06年1月25日、篠原は、オーストリアのウィーンで開かれた光ファイバーの協議会「FTTH Council Europe」に臨んだ。ウィーン市内のドナウ川の水が凍りつくほど寒い日だったが、篠原たちは「世界をあっと言わせてやる」と秘かに燃えていた。
そして、自らのプレゼンテーションの番になると、出来立てほやほやの実演ビデオを見せながら、「“折り曲げられる光ファイバー”が完成した」と胸を張って報告した。世界で初めて、光ファイバーを自由自在に曲げられる技術を開発した篠原は、聴衆からスタンディング・オベーションで迎えられた。30年を超える技術開発によって、ようやくNTTが世界のトップに立った瞬間だった。