連載6回まで取材を続ける中で、私には腑に落ちないことがあった。それは、住民らの震災当日の「避難行動」である。

 被害の大きかった三陸地域は、古くから「津波常襲地帯」と言われてきた。住民たちは、津波の来襲に敏感であったはずだ。ところが、3月11日の住民の行動を調べると、避難が遅れたケースが目立つ。各地域の県庁、市役所、町役場、学校、幼稚園などの避難への対応も、鈍い場合が少なくない。

 これらの理由を分析することなく、「避難しない人に問題があった」、さらには「大震災だから死者が出たのは仕方がない」と締めくくってよいものだろうか。私は、住民の避難行動の背景にあるものを知りたかった。

 そこで、NPO法人環境防災総合政策研究機構の理事を務める松尾一郎氏に取材を試みた。松尾氏は自然災害の実証的な調査研究や、防災についての現実的な視点での提言を続けてきた。今回の震災でも、その直後から精力的な調査をしている。


テレビ、電話、メール、防災無線までダウン
広範囲でトラブルを招いた「不運の停電」

「こんなはずではなかった」と波に消えていった人々 <br />NPOの調査が物語る“避難行動崩壊”の虚しい実態NPO法人環境防災総合政策研究機構の松尾一郎理事。被災地の住民たちの避難行動を詳しく分析し、様々な視点から今後の防災への教訓を提言している。

「2万人近くの人が亡くなり、行方不明になった。大きな被害をもたらした理由の1つには、停電がある。あの日、地震発生の直後に発生した停電は広範囲にわたった」

 松尾氏らの調査・分析によると、3月11日午後2時46分に起きた地震の後、東北地方は約440万世帯が停電した。この時点で、いくつものトラブルが広い範囲で起きたという。

「テレビや固定電話は使えない。自治体が住民に向けて発信する防災無線すら、十分に機能しないケースがあった。携帯電話はかかりにくくなり、メールの送受信もスムーズにできないところもあった」