マヒンドラ・アンド・マヒンドラ・グループ(M&M)はインドとパキスタンが分離独立する1947年の数年前、すなわち45年誕生したインドの有力財閥であり、その歴史は独立国としてのインドの歴史とほとんど重なる。2008年4月現在、8セクター98企業からなるM&Mを率いるのは、ハーバード・ビジネス・スクールでマネジメントを学んだ3代目である。

ルノーとの合弁、自社開発の〈スコーピオ〉、ジャガー・ランドローバーの買収提案などで、企業のみならず、彼自身も自動車業界では一目置かれる存在になっている。M&Mは現在、「革新的で世界的な企業グループになる」というスローガンの下、絶えざる変革を続け、グローバル化とイノベーションに余念がない。またM&Mは、コングロマリットでも持ち株会社でもなく、「企業連合」、いわゆる連邦経営を実践している。第3代グループ総帥のアナンド・マヒンドラに、インド発のグローバル企業の戦略について聞く。

「革新的で世界的な企業グループになる」

 歴史あるインド財閥の1つ、マヒンドラ・アンド・マヒンドラ・グループ(M&Mグループ)の三代目総帥、アナンド G. マヒンドラは、1981年にハーバード・ビジネス・スクール(HBS)を卒業してムンバイに戻ると、同グループの製鉄会社、マヒンドラ・ユジーン・スティール・カンパニー(MUSCO)の役員補佐として働き始めた。

アナンド G. マヒンドラ
Anand G. Mahindra
マヒンドラ・アンド・マヒンドラ・グループCEO。また同グループの副会長兼マネージング・ディレクター。タタ、ビルラ、リラインスに次ぐインド有力財閥の1つである同グループの創業家の3代目。1981年ハーバード・ビジネススクールを卒業後、マヒンドラ・ユジーン・スティール・カンパニーに入社し、89年に同社社長に就任。また、91年にトラクターとSUVを製造する自動車メーカー、マヒンドラ・アンド・マヒンドラのマネージング・ディレクター代理に指名される。

[聞き手]
トーマス A. スチュワート
Thomas A. Stewart
元HBR編集長

アナンド P. ラマン
Anand P. Raman
HBR シニア・エディター

 当時は、インド政府が国内企業に、国外の最新製鉄技術の導入を許可し、小規模ながらも生産性が高い製鉄所が多数誕生し、MUSCOが激しい価格競争に直面していた時期でもある。

 入社して半年後、若きマヒンドラは、他の経営陣から危機管理委員会に出席するよう依頼された。経営陣たちは「できることはすべてやった」と主張したが、ビジネススクールを卒業したばかりのこの青年は、「価格を下げて、『貢献利益』(商品の限界利益から直接固定費を差し引いたもの)を最大化する方法を考えましたか」と尋ねた。彼らの表情や反応から、費用曲線についても、貢献利益の意味についても、理解できている人などほとんどいないのは明らかだった。

 それから四半世紀が経った2007年1月、66億ドル企業のM&Mグループの副会長兼マネージング・ディレクターとなったマヒンドラの姿がダボスにあった。世界経済フォーラム(ダボス会議)の年次会議に出席するためである。

 彼はこの席上、世界最大のトラクター・メーカー、ジョンディアの会長ロバート・レーンと顔を合わせた。実はM&Mは、ジョンディアのお膝元であるアメリカ市場でひそかにシェアを伸ばしていたのである。

 レーンはマヒンドラに向かって、「おたくのトラクターの販売代理店に行って、説明書を見せてもらいました」と言った。これを聞いたマヒンドラは笑顔を浮かべ、「それはまずいですね。ですが、光栄です」と答えた。

 インドの新興企業として、ジョンディアにマークされたと思うとぞっとしないが、ジョンディアが懸念する存在になったこと自体、現在53歳のマヒンドラが進めてきたM&Mの変革が成功したといえよう。