洋の東西を問わず、企業の不正取引、贈収賄など不祥事のニュースは後を絶たない。そのなかで、インドのIT企業、インフォシスは時代を先取りして、N. R. ナラヤナ・ムルティのリーダーシップの下、収益や雇用の拡大よりも「尊敬される企業になること」をビジョンに掲げて、成長を遂げてきた。
どれほど素晴らしい理念であっても、現実社会の力学の前には、ビジネス上の不利益を避けるために、価値観を曲げる誘惑と戦わざるをえないことがある。インフォシスも例外ではなく、その信念を試される経験を何度も経てきた。
くわえて、企業が大きくなるほど、内部の規律を守ることは難しくなる。ビジネスチャンスや利益を犠牲にしても、断固たる姿勢を貫くことで評判を形成し、競争力をつけてきたインフォシスだが、大所帯となったいま、大切にしてきた価値観を守るための苦闘は続いている。組織内に価値観を浸透させるには、制度や環境の整備だけでなく、何よりも経営陣が率先垂範していくことが不可欠である、とムルティは語る。
知性を原動力に価値観を推進力とする
N. R. ナラヤナ・ムルティは見た目の印象とは異なり、かなりの天(あま)の邪鬼(じゃく)である。起業家を志すインド人がほとんどいなかった時代に、わずか1000ドルの銀行預金でインフォシス・テクノロジーズを創業した。
N. R. Narayana Murthy
インドのバンガロールに本社を置くインフォシス・テクノロジーズの創業者で名誉会長。1981年に創業。同社のITアウトソーシング・サービスの「グローバル・デリバリー・モデル」をつくり上げた。
【聞き手】
アナンド P. ラマン
Anand P. Raman
『ハーバード・ビジネス・レビュー』誌 エディター・アット・ラージ
インドが世界に通用するハイテク製品を供給できるとはだれも信じていなかった時に、輸出用ソフトウエア・サービスの開発に挑み、しかも倫理的な企業運営がまるで顧みられていなかった時に、価値観に基づく企業をつくり出した。
インドでは今日、大企業の腐敗に対する国民の反感が高まっている。そのようななか、ムルティが経営の第一線から退いて名誉会長となり、インフォシスは転換点に差しかかっている。
HBR誌のエディター・アット・ラージのアナンド・P・ラマンのインタビューに応じたムルティは、CEO時代を振り返り、「業績を伸ばし、優良企業であるためには、リーダーが全社員に対して、あらゆる面で価値観の重要性を実際に示していかなくてはならない」と説いている。
HBR(以下色文字):インフォシスは「知性を原動力に、価値観を推進力に」を行動規範(クレド)としています。企業の腐敗、縁故びいき、不当利得が当たり前だった1981年に、そしていまでも状況は変わらないようですが、そんなインドで、あなたはどうして価値観に基づく企業をつくるという構想を抱くことができたのでしょうか。
ムルティ(以下略):81年5月、ムンバイで私が借りていたアパートの狭い寝室に、六人の仲間が集まりました。それまで勤めていた会社を辞めて、専門的に管理されたソフトウエア会社を設立しようと決意した私は、みんなに参加を呼びかけたのです。
私たちは、新会社のビジョンについて語り合いました。仲間の1人は「インド最大のソフトウエア企業となるために頑張ろう」と提案しました。別の1人は「国内で最大の雇用を創出する企業を目指すべきだ」と主張しました。3人目の意見は「最大の時価総額を誇るソフトウエア企業を実現させよう」というものでした。私の番になった時、そうしたアイデアを退けて「インドで最も尊敬される企業を目指そうではないか」と訴えました。
それは具体的に、どのような意味でしょうか。
企業として、すべてのステークホルダーに尊敬されたいのであれば、ビジョンを実現しなければなりません。