「よし房」に来たら味わいたい「揚げ蕎麦掻き」は
箸で割ると溢れる蕎麦の香りに幸せな気分になる


「よし房」での初めての会食には、まずは蕎麦粉を自在に使いまわした料理を味わってみたい。

 先ほどの二品に加えて、同じように蕎麦粉を使う「揚げ蕎麦掻き」が出色だ。蕎麦掻きは、蕎麦粉に水を加えながら鍋の中で一気にかき回す。鍋の火は強くする。30秒程度の仕事だが、蕎麦粉のてかりを見ながらの職人技だ。そうして、できた蕎麦掻きを素揚げにして、同じく野菜揚げを盛る。

「揚げ蕎麦掻き」。蕎麦粉をお湯で溶いて練り上げて作る蕎麦掻きを素揚げにして、同じように揚げた野菜で飾る。見事なプロの一品だ。茶巾で軽く絞った文様があり、箸で割り込むと蕎麦の香りが立ってよい酒のあてになる。

 彩りも綺麗だが、蕎麦掻きを箸で割ったときに、蕎麦の香りに幸せな気分になる。酒は辛口をいきたいところだ。蕎麦粉をこれだけ巧みに扱う蕎麦屋で接待ができれは、それは話題のひとつになる。

亭主の山梨善一さん。父親の経営する店で8年、手打ち蕎麦屋で3年、厨房に入る。全幅の信頼を寄せる女将の接客が心地よい。おかげで女性の1人客も多くあり、会食や記念日の客が増えてきたという。

 山梨さんが蕎麦打ちを学んだのはプロの職人を育てる学校だ。卒業後、山梨さんはさらに志願して、その学校を経営する蕎麦屋の厨房に入る。そこは殻剥き、石抜き、磨き、電動石臼などの設備が完備された恵まれた環境だった。

 山梨さんは仕事の合間に製粉室に入り、3年間、蕎麦と製粉技術を徹底的に研究した。「よし房」が開店初日から客を呼び込んだのも、その製粉技術があったからだろう。

 だが、開店までには苦労もあった。開業を決意したもののなかなかテナントが見つからず、山梨さんは相当悩んでいた。そんな折、気晴らしに根津の飲食店に入った時のことだ。店を出て、何の気なしに千駄木まで歩こうとした山梨さんは、根津神社の交差点の角地にテナント募集の張り紙を偶然見つけたのだ。それはまるで、根津神社が導いてくれたかのようだった。

「それでも不安はまだありました」と当時を山梨さんが振り返る。テナントの施工を頼んだ大工さんたちが、夜の人通りの少なさに商売を危ぶんだ。嘘のような話だが、当時は街も暗く、飲食店の明かりも少なかったのだ。