平成生まれの人にも知ってほしい、
稲垣篤子氏の「働き方の秘策」

 もし就職した企業の「ストーリー」が、入ってみて自分が思っていたものと違うということが往々にしてあるだろう。

 しかも、簡単には転職できない状況もあるはずだ。
 その際にも、稲垣篤子氏の生き方から、ある秘策を学ぶことができる。

 吉祥寺「小ざさ」を本格的に継承する前、実は、稲垣篤子氏は、当時は珍しい女性報道カメラマンだった。

 砂川事件などをカメラマンとして取材し、土門拳氏と肩を並べてカメラを向けていたこともあった。

 週刊誌などから、依頼も多く来ており、そのまま報道写真の世界に残れば、あるいは日本を代表する女性カメラマンの一人になったかもしれない。

 しかし、稲垣氏は、多くの家族を背負うために、カメラを文字通り、封印するのだ。
 稲垣氏はそのことについて、こう言う。

「生きるために、家族を養うために、働かなければいけませんでしたからね。でも、中途半端にしたくなかったので、本当にカメラをハコに入れて、こうして縛って、押し入れの奥に封印したんですよ」

 身振りを交えて言う。それ以来、本格的にカメラを手にしたことはない。