しかし、普通だったら到底実現できないようなことを手練手管で何度もやりおおせてきたという「破天荒な物語」は消えることはない。すべてがシステマチックに動き、子ども心やロマンが青二才扱いされ、封殺されてしまう現代において、桜井氏をはじめとするプリンスの残党が見せた“イタズラ”が新鮮に見える可能性は十分にある。

 本流であったニスモに対し、日陰者だったオーテックブランドに光が当たることになったのは、長い時間が日産とプリンスの派閥の歴史を風化させたこと、そして両社の社長を片桐氏が兼務することになったことが大きい。

 それでも、せっかく光を当てるのに、単にオーテックの持つワンオフ(一品モノ)を作る“匠の技”にとどめるのはもったいない。日産の中にこんな面白い反逆児たちがいて、それが自分たちの思うがままに面白いことをやってのけたという物語を今一度見返し、そのイメージをちょっぴりでも投影したモデルを出していかない手はないように思える。

 日本市場はユーザーのクルマ離れが進み、販売台数は低落傾向にある。しかも、購買意欲の高い団塊世代が高齢化でクルマを買わなくなる時代が目前に迫っており、今後の展望に明るさは微塵もない。

 台数が減るなかで国内での収益性を確保するためには、1台あたりの利幅を拡大するしかない。が、クルマを高く売るのは大変に難しいこと。人気車であっても、熱烈なファンがつくようなモデルでもない限り、少し値上げしただけで販売台数を減らしてしまうことも珍しくない。

 そのなかで顧客に抵抗感を持たせずに価格を上げる最も手っ取り早い手段が、別ブランド化であることは確かだが、それを成功させるには普通のクルマとは異なる先鋭的なものを持ち合わせていると、顧客に思わせることが重要だ。日産がオーテックをそういう梁山泊的なブランドに育てられるか、それとも単なるニスモの亜種に終わらせてしまうか、今後の展開が楽しみである。