それでいいのか?あなたがたは、そんな生き方が楽しいのか?

 という本だと思う。レビューしているのにもっとしっかり明瞭に書かんかい、とお叱りをうけるかもしれない。しかし、その根底にあるという「意識」を真剣に考えろと言われても、先に書いたような意味での意識でしかないのである。それに、この本、論旨が真っ直ぐではない。論旨が通っていないのではない。あれっ、と思わせるような寄り道が多いのだ。

 木の根元からてっぺんまで真っ直ぐに登らせてくれるような木登りの案内人ではない。枝があるたびにそれぞれの先まで行って、こんな枝もあるから覚えておけよと、いちいち寄り道しながらてっぺんまでゆるゆると連れて行ってくれるような案内人だ。ある枝が気に入れば、そこでゆっくりすればいい。気に入らなかったら忘れてしまえばいい。そのうえ、下手をすれば、どこかの枝で置いてきぼりを喰らわされかねない。そんな案内人だ。

 案内してもらった木のてっぺんから世界を見渡すと、景色がそれまでとは異なって見える。さらには、降りてからその木を見上げるたびに、木の形がすこしずつ違って見えたりして、あの枝での説明はおかしかったのではないかと思えてくる。でも、それがいいのだ。定常性をもった「意識」のあり方こそ、この案内人が最も嫌うことなのだから。

 現実の遺言は語りおろすことが可能である。その際、本人のお話を元に、公証人が意思を確認しながらきれいにまとめていく。どう考えても、文字になった遺書よりも語られた肉声の方がはるかにおもしろそうだ。この『遺言。』も、語りおろしでまとめられたものではなく、自らが書かれたままを読ませてもらえる楽しさがある。こんな『遺言。』、どう読もうが読者の勝手である。それこそが養老先生の望んでおられることなのだから。

(HONZ  仲野徹)