上司の誘いを断るのはダメなのか?
日本人の常識は頑なだ

 現在筆者はマレーシアに住んでいるが、そこでも価値観の自由と寛容さを感じることは多い。国教であるイスラム教では、日に5度の祈祷をするが、金曜の午後の祈祷は特別で、必ずモスク(ムスリム寺院)に赴いて祈りを捧げなくてはならない。したがって、金曜は仕事を午前で切り上げたり、休みにするムスリムも少なくない。

 筆者の大学もこれを考慮し、金曜の午後には授業をほとんど入れないし、会議もない。その分、他の曜日にしわ寄せが来るが、皆受け入れている。

 こういった配慮は、マジョリティであるムスリムに向けてだけではない。ヒンドゥ教や仏教の祭日や行事日にも配慮するし、学校でも宗教的行事による児童の欠席には寛容だ。

 宗教的価値観や個人的価値観の多様性に配慮し、それによるしわ寄せにも「お互い様」という寛容さがあるという点では、アメリカもマレーシアもあまり変わりないように思える。

 一方、日本では、働き方改革やダイバーシティマネジメントの重要性が注目されているが、その根底には日本人の持つ「常識の頑なさ」があるように思える。

 部下を飲み会に誘ったら、その分残業手当を申請された、というのは、いささか極端な例ではあるが、「上司の誘いは断るべきじゃない」という「常識」も、かなり特殊なものだという自覚を持つべきだろう。

 日本人だって、アメリカ人の部下を仕事帰りの飲み会に誘っても「私たちの国ではそんなことしません」と言われれば、納得するだろう。同じ日本人でも、そのアメリカ人に近い価値観を持っている人がいても不思議ではないことを私たちは知っておくべきだ。

 とはいえ、飲み会に参加しないと、仕事の輪に入れない、コミュニケーションに支障をきたすという理由で、飲み会が重要だと主張する人もいる。ならば、飲み会は「仕事の一部」と解釈されても仕方ない。

 アメリカ企業の優秀なマネージャーは、部下とのコミュニケーションを大切にするが、それは決して時間外の飲み会などではない。会議や仕事上のミーティングではもちろん、デスクワークの合間の会話や、ランチタイム、休憩時間などをフルに活用し、コミュニケーションの機会を作る。それはひとえに、部下の個人の価値観を把握し、チームの仕事を円滑に運ぶためだ。