“フェアユース規定”を巡る
新たな「改革潰し」パターンの出現

 これまで何度も当連載で、「安倍政権で改革は大して進んでいない」「その原因は改革の具体的な中身の策定を自民党と霞が関に任せているからだ」と述べてきました。

 既得権益の維持が最優先という行動原理の下で、自民党の族議員は改革に反対し、具体的な政策を立案する官僚も表面だけの改革にして中身は骨抜きにするという構図です。その典型例は、遅々として進まない医療制度や年金制度の抜本改革です。

 もちろん、それ以外の動機によって改革が進まない場合もあります。自民党の政治家も官僚も改革の必要性はわかっているけれど、外部のステークホルダーの強硬な反発を恐れて改革に逡巡してしまうというパターンです。

 その典型例は解雇規制の緩和です。人口減少の下で経済の生産性を高めるには労働市場の流動性を高めるのが不可欠とわかってはいるものの、解雇規制を緩和しようとするだけで野党、一部メディア、経団連、労働組合などの総反発を食らってしまうので、残業時間上限規制などいかにも中途半端な“働き方改革”だけで終わってしまっているのです。

 政界でやるべき改革が進まない場合、大抵はこれら2つのパターンが背後にあるのですが、最近、ある意味で非常に面白い3つ目のパターンが現れたので、今回はそれを紹介したいと思います。

 著作権法改正を巡って現在進行形で起きているのですが、官僚の側はある程度改革を進めようとしていて、既得権益やメディアなどの反発がないにもかかわらず、自民党の政治家が(ラフに言えば)「理想論からはほど遠い」といった趣旨の理由で改革に反対しているのです。

 多くの人が著作権法の詳しい中身には関心がないでしょうし、また詳しく説明すると凄まじい分量になってしまうので、非常にザックリ説明しますと、著作権法を巡っては過去10年くらいに渡って重要な“哲学論争”が行われています。それは「フェアユース規定」の導入の是非です。

 米国の著作権法には、たとえば教育現場での利用や、ネットの検索結果への最小限の引用など、著作物を“公正に”利用する行為は著作権の侵害とならない(著作権者の許諾を得なくてよい)、という包括的な規定(フェアユース規定)があります。