4位「僕は五輪を知っています」
(フィギュアスケート 羽生結弦選手)
大会前に右足首を負傷し、まともに練習ができなくなってしまった羽生選手。ぶっつけ本番でのぞむ五輪に、周りからは調整不足が心配されました。
それでもショートプログラムで、堂々の1位。王者としての貫禄が、直後のインタビューでも表れていました。ただ「僕は五輪を経験したことがあります」
ではなく、
「僕は五輪を知っています」
というコトバ。ここには、五輪ではどのくらいのプレッシャーがのしかかるか、そのうえでどうすれば最高のパフォーマンスをできるかという、「五輪の勝ち方を知っている」という自負もこもっていたのではないでしょうか。口にすることで、自分への」プレッシャーにもなったでしょう。それをはねのける、圧倒的な練習量と自信に裏づけされたチャンピオンにしか言えない、名言でした。
3位「五輪には魔物がいると言われるが、
私にはいなかった」
(カーリング 吉田夕梨花選手)
五輪というと、きっと、尋常でないプレッシャーのかかる大会だと思います。絶対的に強い選手でも、いざ五輪では成果を出せないこともあります。それが「五輪の魔物」。
1センチの差ですべてが変わる、というカーリング。一投に日本中、世界中が注目し、見ている方まで力が入ってしまいそうな時間でした。
そんな中で、カーリング女子の「そだね~」といった北海道なまりや、休憩中の「もぐもぐタイム」のリラックスしたようすは、これまでの緊迫したアスリート像をがらっと変え、お茶の間でも大人気に。きっと「五輪の魔物」もカーリング娘たちの魅力に牙をぬかれてしまったのでしょう。
2位「目標がなくなるよりも、
さらに上があるってことはいいこと。
また新しい目標が見つかった」
(スノーボードハーフパイプ 平野歩夢選手)
これ以上ないだろうというほどの、超人的なランでした。それでも超えられなかった、絶対王者ホワイト選手。滑走の順番が違っていたらメダルの色も変わっていたかも、という話さえありました。とても悔しかったでしょう。銀メダルでも十分すばらしい。でもそれに満足せず、次に向けて「また新しい目標が見つかった」と立ち上がる19歳に、日本中が力をもらえました。