――え、水もですか?
西條 はい。水は、地面に水道管が埋まっていてその地面が瓦礫だらけだったり、浄水場自体がダメになっているので、みなさんが思っているよりも回復はずっと遅かったんです。南三陸町は2か月時点での水道復旧率は1%で、3か月時点で7%で、飲み水はもっと少ない状況でした。通電しても、重要な家電は一階にありますから使うことができません。
最初に考えたのは、家にまだまだ使えるけど使っていない家電ってありますよね。そういう家電を、たとえば東京などで集めて、被災地で配ればいいだろうと思ったんですね。罹災証明書のコピーだけ受け取って、重複だけなくすようにする。
その第一回配布を行ったのは、先ほど見ていただいた映像を撮った石巻市の渡波だったんです。250個の家電を配ったのですが、その様子を復興支援の動画チャンネル『チャリTV』の山田エイジさんがつくってくれた動画が以下のものです。
<動画3 石巻で250個の家電を支援>
――おお、みなさん、すごいイキイキとしていますね!
西條 はい。本当にお祭り会場みたいになって、僕もやってよかったと思いました。車も街もなくなって買い物に行くこともできない状態で、冷蔵庫もなくて、洗濯も手洗いでしているような状況でしたから、家電を一つ手に入れることができるということは、一歩一歩復興の階段を上がっているような実感があるようなんですね。
このスタイルの家電プロジェクトは、どんどん広がっていって、早稲田大学、板橋区、渋谷区、大田区、中野区、東京都府中市、山梨県、名古屋市、山口県で収集して、相馬市、石巻市、南三陸町、陸前高田市、気仙沼市、大船渡市、大槌町、宮古市といった被災各地で2500世帯以上に家電を配布することができました。
他にも「拠点ベース型家電プロジェクト」も実施しました。
できるだけダイレクトに届けるために、必要としている人たちがたくさんいる半壊地域のど真ん中に家電の受け入れ拠点をつくったんです。大きめの家だったり、倉庫があるお宅で、近所に配ってくださる方に窓口になってもらって。そうすれば、そこに送られた家電を近所の人が取りにくればいいので、一番簡単ですよね。
――確かに。とても合理的ですね。