「自分が何をやってきたか、何を残せたか、あまり実感はなかったんですけど、(セレモニー後にスタジアムを)周った時に『ありがとう』という言葉をたくさんもらって。サッカーを続けてきてよかった、と思いました」

 今も思い出すたびに気持ちが重たくなるほど、毎日のように厳しい指導を受けた国見高校時代の小嶺忠敏監督(現長崎総合科学大学附属高校監督)を、サッカーだけでなく人生の師として仰いできた。

 第二の人生に思いを馳せた時に、小嶺監督の大きな背中を追いかけたい、サッカーの指導者になりたいと自然に思うようになった。そして、2017シーズンをすごした仙台とのつながりで仙台大学を紹介され、AO入試を一般で受験し、合格通知を受け取った。

 教員免許を取得するだけでなく、コーチング理論やスポーツ心理学を大学生として受講。同時進行でJクラブの監督を務めるのに必要な、日本サッカー協会が発行するライセンスも取得していく。

「仙台で見かけた時には、声をかけてください」

 セレモニーではマイクを介してこんな言葉を投げかけて、仙台のファンやサポーターの笑いを誘った平山さんが後ろを振り返ることはない。残念ながら天命は訪れなかったが、人事を尽くしたと胸を張って言えるからこそ、前だけを見つめて歩んでいく。

 華やかなスポットライトを浴びただけではない。プロ野球などに比べれば決して長いとは言えないサッカー選手の競技人生で、思うように道を切り開けない、どん底の時期も長く経験してきた濃密な軌跡は、指導者の道を歩んでいく上で人間的な厚みをもたらしてくれるはずだ。

「自分は話すのが下手なので、サッカーに関する勉強だけでなく、教える、あるいは伝える力もつけていかないと。高校時代の3年間はサッカーだけではなく、人としての在り方も教わったことで、少しずつですけどプロの世界で成長できたと思っているので、そういうことも教えられるようになりたい」

 J1での通算成績は168試合に出場して33得点。オランダ時代を含めて、二桁ゴールに到達したシーズンは一度もなかったが、それでも何かを期待させるオーラを常に漂わせる稀有な存在だった。

 だからなのか。FC東京のファンやサポーターに大声で熱唱されてきた平山さんのチャントは、今では「ヒラヤマ」の部分が「タケフサ」に変わり、14日のYBCルヴァンカップで待望のプロ初ゴールをあげた21世紀生まれで初めてのJリーガー、16歳の久保建英に受け継がれている。