普通の人生から、生かされた人生へ

 僕は、あの爆発も火事も、その後の叫び声も、まったく覚えていません。

 炎に包まれた子どものつんざくような悲鳴に、駆け付けた母は、焦げて真っ黒くなったセメントの床に放り出され、まだ火のくすぶっている僕の体を目にしたのです。

 僕が死にかけているのは、一目瞭然でした。

 爆発から数分もしないうちに、消防車がサイレンを響かせてやってきました。

 父がその知らせを聞いたのは、職場に着いてまもなくのことでした。隣人からの電話で、僕が事故で火傷を負ったと聞かされたのです。

 すぐに車で家へと向かった父ですが、さほど心配はしておらず、きっと軽傷だろうくらいに思っていたそうです。

 しかし、家に到着し、車庫の中に残された、溶けたスヌーピーのスニーカーや焦げたシャツの切れ端を見て、その悲惨な現実を理解したのです。

 父は最悪の事態を恐れながら、病院へと向かいました。

 そして、病院の古びた待合室で、むせび泣く母を見つけたのです。

 目の前で恐ろしい光景を目撃したせいで、母はしばらくは話すことさえままならない状態でした。

 医師から告げられた僕の容体は、あまりにも厳しいものでした。

「とても危険な状態です。体の8割に火傷を負っています。生存の可能性はごくわずかでしょう。率直に言って、まだ生きていること自体、信じられません。これほど重い火傷を負えば、たいていは病院への搬送中に亡くなっています」

 現実は、この医師の言葉よりも重症だったことなど、そのときの両親には知るよしもありませんでした。

 実はこの時、僕は手術台の上で三度、心臓が止まり、そのたびに蘇生されたそうです。

 そう、僕は三度死に、三度生き返ったのです。

 僕の人生、つまり、普通の存在として生きるはずだった少年の人生は、終わりました。

 1982年3月のうららかな午後、手術室で、その少年は死に、僕が生まれたのです。

 両親はまもなく、以前とは変わり果てた姿となってしまった僕を目にすることになります。