奇跡の起こる村へ行ったものの、何の変化も起こらなかった。
そこで僕は1つの結論を得る。僕に必要なのは、自分を信じること。
「たとえどんな障壁にぶつかろうと、自分が挑戦することは必ず成功する」と、信じることだった。
感動の軌跡を追った連載、第4回。

奇跡の起こる場所へ

 1986年の秋、僕が7歳になった時、両親はユーゴスラビア(現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナ)のある村で起こっている奇跡のうわさを耳にしてきました。

 それは、メジュゴリエという小さな村で、1981年から「聖母マリアの出現」が始まったというのです。その村は、有名な聖地となっていました。

 聖母マリアは、村に住む数人の子どもたちの前に現れ、メッセージを伝えたといいます。そして、そこへ行ったたくさんの巡礼者が、病気や傷を治してもらったというのです。

 父も母も、僕が元の状態に戻れる可能性がほんの少しでも存在するなら、どんなことをしてでも、僕をそこへ連れていこうと決心しました。

 そうして僕は、母と一緒に巡礼の旅へと出発したのです。

 僕と母は、10日間、地元の親切な家庭に滞在させてもらうと、毎朝、山を登り、聖母マリアが出現したという場所へと通いました。

 しかし、母にも僕にも、ついに奇跡の声は聞こえず、何も見えませんでした。

 ルイジアナに戻った僕の体には何の変化もありませんでした。奇跡は起こらなかったのです。

 それでも両親は、必ず変化が起こると信じていたので、それから1年もしないうちに、僕は再びメジュゴリエへと向かいました。

 今回は、父と一緒でした。父は、二度目は成功すると信じていました。
僕も父も毎日祈りましたが、今回も何の奇跡も起こりませんでした。

 別の村の保養地も訪れた僕たちは、「魔法のクリーム」のことを耳にします。

 そのクリームは、地域の全病院で火傷患者に使われており、毎日使えば、ひどい火傷の跡でさえ魔法のように元通りになるといわれていたのです。

 僕たちは、そのクリームの大ビンを6、7本買って、帰国しました。

 両親は忠実に、それを毎日、僕の体に塗ってくれました。ある日、急に発疹が出て、感染症が起こるまでは……。

 魔法のクリームは、すぐにごみ箱行きとなりました。再び、僕は、目に見える奇跡のサインを何も与えられなかったのです。

 けれど、メジュゴリエへの旅は、2つの意味で大切なものとなりました。

 1つには、両親との絆を強めてくれ、もう1つは、奇跡を経験するということの真の意味について、じっくりと考えさせてくれました。

 僕の出した結論は、「もし奇跡が自分に起こるとしたら、それを起こすのは自分自身だ」ということでした。

 僕に必要なのは、自分を信じることだと思ったのです。

 つまり、「たとえどんな障壁にぶつかろうと、自分が挑戦することは何であれ、必ず成功する」と、つねにプラス思考で信じることです。

 それからは、僕はあらゆることに2倍の努力をするようになりました。勉強でもスポーツでも、最大の挑戦である靴ひもを結ぶことでも、これまで以上に頑張ったのです。

 その結果、発見がありました。それは、今日でも信じていることですが、どんなことにでも一生懸命取り組み、練習を重ね、全身全霊で打ち込めば、必ず自分で奇跡を起こせる、ということです。

 自分で奇跡を起こす能力に気づいたのは、バスケットボールのコートの中でした。