指がなくても、自分のことは自分でできるようになりたい!
自分なりのやり方を発見して、1つずつ前に進んでいた僕は、幼稚園で激しいいじめに遭う。そんなある日、突然、背中を押す力を感じ、それに従ってみた……。
感動の軌跡を追った連載、第3回。
「ない」ものではなく、
「ある」ものを使えばいい!
退院して家に戻れば、両親や兄弟は、以前と同じく家族の一員として心から受け入れてくれました。
しかし、僕にとっては、フォークを持ったり、髪をとかしたり、ズボンをはいたりというような毎日の作業が、とてつもなく大変なことでした。
僕は、他の人と同じようにしようとしていました。でも、それは不可能なことだったのです。
たとえば、僕はスプーンでプリンを食べようと、何千回やってみたかわかりません。そしてようやく、指がなければ他の人のようには食べられない、とわかったのです。
僕は、自分のことを自分でできないということに、とても苛立ちました。
人がしているのをまねて、あらゆることをやってみましたが、失敗ばかりでした。
とうとう僕は、普通の人がしている方法で自分にはできないなら、普通の規則は自分には当てはまらない、と決めたのです。
僕は、指のない自分の両手を眺めながら、自分自身に言い聞かせました。
指がないのに、指があるように行動してもまったく意味がないのだ、と。
代わりに、自分にあるものを使い始めました。両手の端を使ってフォークを持ち、食べ物を口に運んだのです。
大成功でした! やっと自分で食べることができたのです。
僕の未来は、突然変わりました。もはや誰にも頼らなくてよくなったのです。ようやく自分のことが自分でできるようになりました。
両手でフォークが使えるなら、同じようにペンも使えるのでは? そう思った僕は、両手でペンをはさんで落書きをし、やがて文字も書けるようになりました。
口と手首を使って、シャツのボタンもかけられるようになりました。ほどなくして、日常のことはほとんど一人でできるようになったのです。
パジャマのズボンを引っ張り上げ、Tシャツをかぶり、ファスナーをしめられるようになりました。フリスビーを飛ばし、野球のバットを振ることもできました。家族でキャンプに行った時には、弓を射ることもできたのです。
ただし、靴ひもを結ぶことを除いては……。どんなに一生懸命努力しても、細い靴ひもで結び目をつくることはできませんでした。
5歳になった時、左手の親指の形成手術を受けました。これが僕の人生を素晴らしく変えてくれることとなります。
その親指に慣れていくにつれて、目の前に新しい世界が開かれてきたのです。
やがて、いかなる難題にも、確信と信念をもって向こう見ずに身を投じてよいのだと考えるようになりました。
それは僕に、計り知れない自由の感覚を与えてくれたのです。
でも、新しい親指を使っても、靴ひもを結ぶことは他の何よりも難しく、苛立たしいものでした。
これができないことで、まるで敗北者の烙印を押されたように感じ、人格上の欠点だとさえ思い始めたのです。
僕は、負けを認めてしまうのではなく、どんなに時間がかかっても、成功するまで毎日靴ひもを結ぶ練習をしようと誓いました。
しかし、この後、人生で最大の挑戦が始まろうとしていたのです。