また、都市部の低い合計特殊出生率が課題と叫ばれるが、地方においても合計特殊出生率の低下は既に進み、全国でずば抜けて高い1.95を記録する沖縄県(※4)ですら、人口を維持する基準値2.07を下回る。これは、地方から都市部への人口移動がなくなったとしても、人口減少が起きることを意味する。

 もちろん、出産や地方への移住によって幸福感を得られるのであれば、それが実現される社会は素晴らしい。しかし、晩婚化が進み、希望出生数が下がる中で、合計特殊出生率を高めることが、国民一人ひとりを幸せにするのだろうか。社会で活躍し、経済的にも恵まれている女性が「結婚や出産を後ろ倒しにしたい」と話すことは多い。

 (※4)=平成 28 年(2016)人口動態統計(厚生労働省)

衰退は地域の当事者が選択した結果

 地方衰退の象徴として、シャッター商店街を嘆く声も根強くあるが、大型スーパーの登場に利便性を感じ、消費行動を変えたのは、紛れもなく地域の住民である。それにもかかわらず、大型スーパーを敵視することが正しいとは思わない。

 昨今、アマゾンなどのネットショッピングが拡大を続ける。今後、大型スーパーなどが撤退を決めた時には、アマゾンを悪者にするのだろうか。もちろん、アマゾンであっても未来永劫繁栄を続けるわけではない。いずれやってくるであろう衰退期には、「アマゾンは良かった」と、絶えず過去を懐古し続けるのだろうか。

 これは余談だが、10代や20代の若者にとって大型スーパーは地方にとっての外敵ではなく、初デートの淡い記憶に結びつくらしい。世代間の異なる感覚、特に幸福という多様で曖昧なニーズを把握することは実に難しい。

幸福の度合いを経済力で測るべきではない

 幸福度の測定が、全面的ではないにせよ経済性に依存していることに対し、筆者は2つの懸念を抱いている。ひとつは、「富によって国民が得られる幸福感が小さくなっている点」、ふたつめは、「経済成長の実現可能性が不確かな点」である。

 前者については、若者が車や時計などの高額商品から、距離を置いていることに現れている。一方で、SNSを利用すれば、お金をかけずに常時、人とつながることができ、ユーチューブや安価なオンライン動画配信サービスなど、エンターテインメントは溢れている。“モノ消費”から“コト消費”へ移行する時代、すでに“モノ消費”は必ずしも幸せに直結していない。