「自らの過ちはすべてスルー」では
社会の木鐸は務まらない

「審査の項目」の中には、こんな言葉も見つけられる。

「家族の状況」

「健康優良児」をセレクトする上で、家族のどのような「状況」を精査するのかは、推して知るべしであろう。

 1万6000人の障害者に強制的に不妊手術を受けさせた旧優生保護法問題は、確かに政府の責任だ。救済を行うのも政府だ。だが、そのような法律の成立に大きな役割を果たし、戦後になってもなお、オブラートに包んで優生思想を広めていた者たちがいた事実も検証しなければ、同じ過ちを繰り返すだけではないのか。

 今年1月、仙台地裁に60代女性が国に謝罪と慰謝料を求めて提訴したことで、この問題が大きく注目をされた際、朝日新聞が「強制不妊手術 救済に向け調査を急げ」という社説を掲載していた。

『驚くことに、自治体の50年代の冊子には「優生手術千人突破」「群を抜き全国第一位の実績」などの記述まである。手術増を奨励した厚生省(当時)の通達により、都道府県で競いあったのではないか。国家による命の選別が、なぜつい二十数年前まで続いていたのか。負の歴史に向き合うことは、政策を許した社会全体の責任でもある』(朝日新聞2月21日)

 自分たちの戦前記事や、当時の副社長の講演をよく精査していただければ、なぜ1950年代の自治体の冊子にそんな驚くような記述があふれたのか、原因がわかるはずだ。

 負の歴史に向き合うことは大賛成だが、責任を社会全体へ分散させる前に、まずはご自分たちがどういうことをしてきたのかを、ここらで改めてしっかりと検証してみてはいかがだろうか。

 マスコミの「世論誘導力」というものは、マスコミ人が思っている以上に強大で、何十年も尾を引くものだ。なぜ戦後70年以上も経ったのに、戦前のような「日本人は世界一優秀」みたいな歪んだ愛国心が社会に溢れているのか。なぜ社会全体で「平等」や「人権」をうたっているのに、下村氏が主張したようなことをネットで触れ回る人々がいるのか。

 これらの問題は、戦前にルーツを持つ旧優生保護法が平成まで続けられていたのと、根っこはまったく同じである。自らのとんでもない過ちに触れるのは辛いことだ。しかし、「社会の木鐸」を名乗っているマスコミのみなさんの「スルー」は許されない。「軍国主義が悪い」「時代の犠牲者だ」みたいなトーンでお茶を濁すことなく、問題の本質に迫るような調査報道を期待したい。