2000年代にかけて一世を風靡した中国クラブのママだった謝鳴さん2000年代にかけて一世を風靡した中国クラブのママだった謝鳴さん

 謝鳴が青春時代に夢中になっていたのは、日本人歌手の歌だった。「山口百恵が大人気で、私もいつも聴いていました。でも、一番好きだったのは、先日亡くなった西城秀樹さんの歌でした。ソウルフルで激しくて、甘くて、かっこよくて、当時の中国に似たような歌手はいなかった。私はヒデキに夢中でした。高校生の頃です」

 このように日本の歌を通して、中国時代の彼女は日本への思いを募らせていったのだという。

弟と恋人が来日したのをきっかけに
安定を捨てて「夢」を選ぶ

 そんなある日、転機が訪れた。彼女の弟と、当時付き合っていた恋人が同時に日本へ留学したのである。

 彼女は「安定」を捨て去り、「夢」を選んだ。

 88年9月23日、上海の有名歌手は名もなき一介の日本語学校就学生として日本の地に降り立ったのである。

(6月6日(水)公開予定の後編に続きます)