愛煙家を迫害し続ければ
社会はギスギスしていく

 日本の喫煙者たちも今、「リストラ部屋」のサラリーマンたちと同じような屈辱を感じている。

 マンションのベランダ、会社の外にある小さな喫煙所、小さなバーやスナックなどなど、日増しに「より狭い環境」へと追いやられているので、「受動喫煙の加害者」という意識はサラサラなく、非人道的な扱いを受けている「被害者」という感覚の方が強くなってしまうのだ。

 このような風潮が続くのは非常にマズい。イスラム圏のいざこざを見ればわかるように、虐げられた人々の怒りは、どこかで先鋭化して原理主義になるからだ。

 実際、「愛煙家」の中には、世界的に見られる受動喫煙防止対策の流れを「禁煙ファシズム」と憎むだけではなく、「たばこは文化だ、俺が好きな時に吸って何が悪い」「たばこが体に悪いなんて証明できるのか」などという喫煙原理主義者になってしまっている。

 原理主義の先にあるのは、「衝突」しかない。では、これを避けて、よく言われる「吸う人も、吸わない人も共生できる社会」にするのはどうすればいいのか。

 答えは簡単で、いまのように喫煙者を「狭い環境」に追い込む方法が軋轢を生んでいるのだから、その逆をやればいい。つまり、「広い環境」へと追い込むのだ。

「その通り!もっと広い心で喫煙者を受け入れて、喫煙可の店や分煙店をじゃんじゃんつくればすべて解決だ!」と大喜びする愛煙家の方たちもおられるかもしれないが、筆者が言いたいのはそうではない。

 残念ながら、店という閉ざされた狭い環境のなかでは、どうやっても「吸う人も吸わない人もハッピー」という状況はつくれない。客、従業員、分煙コーナーの周りに座った人など、誰かが必ず煙に対する我慢を強いられる。禁煙にしたら「たばこを吸う人」にも我慢を強いているじゃないかと腹を立てる方もいるだろうが、飲食店である以上、「飲食する人」のハッピーを優先するのは当然だ。つまり、厳しいようだが、「たばこを吸う人」のハッピーは店の中にはないのである。

 では、どうするかといえば、「店外」に吸える場所を増やすのだ。