人間の「信じる」心は
かくも脆い

 人が何かを信じるときには、心理学的には2つの要素があります。まずはリアリティのある体験。これは、ヨガをして心身がスッキリしたとか、修行中に光や音の超常体験をしたなどの直接的な体験はもちろん、専門家や権威ある人が評価していたり、周囲の多数が評価している、科学的根拠があるということも、これに含まれます。

 もう1つの要素は、問題解決に役立つかどうか、です。人はさまざまな願いを持ちつつ、日々に悩みながら生きています。そんなときに、悩みへの回答を示されたり、「君はこうやって自分の価値を上げれば、願望を叶えられる」などと教えられたとき、それが役に立つと思えば信じるのです。実は、人間が何かを信じるときに「科学的根拠」の有無はさほど強力ではなく、信じるに至るいくつかの理由のうちの1つでしかないのです。

――そう考えると、誰もが「オウムにハマってしまう可能性」を持っていると言えますね。

 そうです。1980年代、バブルの狂乱の最中で、本当にカネだけで幸せになれるのか?人間が生きている意味は何なのか?と本質的な問いを心に抱くのは、むしろ人間として非常にまっとうなことです。本来、宗教はこうした問いに答える役割を担っているはずですが、信者たちは仏教でもキリスト教でもなく、オウムと縁を持ってしまった。当時は新宗教ブーム、中でも突出してパワーを持っていたのがオウムだったのです。

 オウム事件後、「葬式坊主が増え、仏教界がきちんと教えを広める努力を怠ったからだ」と反省される仏教者もおられました。

――オウムでのマインドコントロールの実態は、どの程度、解明されてきたのでしょうか?

 まったく不十分なまま今回、元幹部6人の死刑が執行されてしまいました。私たちが「死刑を回避し、無期懲役に減刑してほしい」と要望したのは、彼らに同情すべきだ、というような単純な理由からではありません。