日本の企業の多くが、未来の成長よりも、目先の売上・利益の増減に一喜一憂する「PL脳」に侵されていて、だからこそアマゾンのような革新的な急成長企業が生まれないのではないか。そんな問題意識から新刊『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』をまとめた元ミクシィ社長の朝倉祐介さん。しかし、当の朝倉さんも、PL脳にとらわれかけた、と告白します。なぜPL脳に陥ってしまうのか、PL脳の代わりに身につけるべき、成長を描いて意思決定する頭の使い方「ファイナンス思考」とはどのようなものか、同書の「はじめに」の後半を抜粋してご紹介していきます(「はじめに」前半はこちらから)。

 正直に白状すると、私もかつてはPL脳にとらわれかけていたひとりです。
 前職であるミクシィの代表に就任した2013年のことです。6月25日の株主総会をもって正式に代表取締役に就任し、5日後の6月30日には第1四半期が終わりましたが、ここでミクシィは、上場以来初の赤字に転落しています。

 当時のミクシィは業績も株価も一貫して悪化傾向にあり、苦境を脱する糸口をつかめない状況が続いていました。社内外ともに経営状況の見通しについて悲観的なムードが漂っていた時期です。赤字転落することは以前から予見されていたことですし、そうした環境でも腹をくくって会社の再生に取り組んでいくことが大前提だったとはいえ、それでも、実際に目の前の業績が悪化し続け、下げ止まる見込みが立たない状況は辛く、暗澹(あんたん)たる日々でした。そうした状況が醸し出す空気感が、気持ちに大きな負担となってのしかかったものです。

 経営者であれば、業績の悪化を避けたいのは当然です。ましてや監査法人から「事業継続に重要な疑義」や「継続企業の前提に関する注記」を付しかねない旨をちらつかせられると、心が折れそうになるものです。そうした状況下であれば、たとえ頭では本質ではないことを理解していたとしても、易(やす)きに流れ、目先の売上・利益をより多く見せかける「PLを作る」手法の誘惑に心惑わされてしまうのが人情というものでしょう。

 なんとかそうした局面でも踏みとどまり、目先の業績や株価は脇において、ファンダメンタルな価値創出に骨太に取り組んできたつもりでいますが、常に足元ではダークサイドへの誘惑の落とし穴が大きな口を開けていました

 同じ赤字でも、新たな事業の開発に紐づいて生じる赤字と、成熟した事業で生じる赤字とでは、意味合いが180度異なります。往々にして、前者は産みの苦しみで生じる健全な出血であるのに対し、後者は失血死に至りかねない構造的な赤字であるものです。新たな事業に投資しないことには、将来の収益は望めぬ一方で、会社全体が沈みゆく中で積極的な投資を実行するのには、相応の覚悟と胆力を要します。リンクトイン(LinkedIn)の創業者であるリード・ホフマン氏は、「スタートアップとは、崖の上から飛び降りながら、飛行機を作るようなものだ」と述べていますが、会社の再生とは、浸水して沈みゆく船を操舵しながら、新しい船を作るような芸当なのです。

 ミクシィ在任時に私が意識していたのは、いかにして沈みゆく既存事業の受け皿となり、それに代わる新たな事業を築いていくかということです。いわば、「ノアの方舟」を作るような心持ちで、日々の意思決定を下していました。既存事業では止血のために予算を抑制する一方で、新たな事業への投資を断行しなくてはいけません。これは、あたかもブレーキとアクセルを同時に踏むような行為です。こうした局面で、特に既存事業サイドの現場において大きな軋轢(あつれき)が生じることは想像に難くないでしょう。

 ここで再成長に向けた戦略を貫けないと、貯め込んだキャッシュを温存するために新規投資を抑制するなど、縮小均衡に向かって突き進んでしまいます。目先のコスト増は防げるかもしれませんが、それでは問題を先送りしているに過ぎません。そうした立ち居振る舞いは社会から要請されている会社の機能ではありませんし、そうこうしているうちに再浮上の機会を逸し、ズブズブと深みにはまってしまうのです。
 たとえ反発を買おうとも、ファイナンス思考に基づき、直感とは異なる施策をやりきらなくてはならない局面というものが、会社にはあります。会社は現状を維持するための装置ではないのです。

ファイナンスのもつ4つの機能

 一般的には、ファイナンスの理論は、主に投資家にとっての最適な投資行動について考えるための「投資理論」と、投資家からの出資を受けた会社が、最適な資金調達や投資を行うための「企業金融理論(コーポレート・ファイナンス)」の2つに大別されます。両者は投資家(会社に投資をして、リターンを得る立場)と企業(投資家からの資金を受けて、リターンを返す立場)という、立場の異なるプレーヤーからの視点で会社の活動をとらえるものであり、表裏一体の関係にあります。ここで述べる「ファイナンス」とは、後者の「コーポレート・ファイナンス」を指します。主に会社側の立ち位置からファイナンス的なモノの見方を提示するのが、本書の特徴です。

 また『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』をまとめた目的は、ファイナンスの「理論」や「知識」を事細かく解説することではありません。ファイナンスを扱う土台となる「思考」を紐解(ひもと)くことに力点を置いています。財務の担当者でもない一般のビジネスパーソンにとっては、詳細なテクニックよりも、実務に反映し得る考え方こそが重要であると思うからです。

 この点で本書は、ファイナンスにまったく縁のなかった初心者、一定のファイナンス知識を有する中級者の双方にとって、意味のある内容となることを心がけています。本文の内容自体は最低限のファイナンスの予備知識を有していることを前提に書かれていますが、初心者の方は、巻末の特別付録「会計とファイナンスの基礎とポイント」を先にお読みいただくことで、理解を進められるでしょう。

 また、ややもすると曖昧で多義的な「ファイナンス」という言葉を、以下の4点に分類し、構造化して定義づけています。

会社の企業価値を最大化するために、
A 事業に必要なお金を外部から最適なバランスと条件で調達し、(外部からの資金調達)
B 既存の事業・資産から最大限にお金を創出し、(資金の創出)
C 築いた資産(お金を含む)を事業構築のための新規投資や株主・債権者への還元に最適に分配し、(資産の最適配分)
D その経緯の合理性と意思をステークホルダーに説明する(ステークホルダー・コミュニケーション)

という一連の活動

 金融業界のプロフェッショナルの方々やアカデミックな観点からすれば、単純化しすぎた乱暴な整理に思われるかもしれません。しかしながら、ファイナンスの初心者・中級者が、「ファイナンス思考」のエッセンスをつかむうえでは、この水準の整理が必要十分であり、これ以上の情報量はノイズになると思います。
 よりファイナンスの知識、理論について理解を深めたい読者の方には、本書中でご紹介する関連書にあたっていただければ幸いです。

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 最後に、私の自己紹介をさせてください。

 私自身は大学でファイナンスを専門に学んではいませんし、金融機関などでの勤務経験をもつ人間でもありません。
 零細スタートアップの経営者として、また上場企業の経営者として、ファイナンスにまつわる考え方がいかに会社経営にとって重要であるかを、身をもって体験した実務家です。
 私は競馬の騎手候補生と競走馬育成牧場の調教助手という、少々風変わりな職歴を経て東京大学に入学し、卒業後はマッキンゼー・アンド・カンパニーの経営コンサルタントとしてキャリアを再スタートしました。その後、大学時代に友人たちと設立したスタートアップに復帰し、代表としてその会社をミクシィに売却した経緯で、同社の経営再建にも携わりました。その際の体験は前述したとおりです。
またその後、スタンフォード大学の客員研究員として研究するかたわら、仲間たちと立ち上げたTokyo Founders Fundでのベンチャー投資を通じて、特に北米のスタートアップがリスクマネーを獲得し、ダイナミックに成長していく様子を観察する機会にも恵まれました。こうした経験の中で得たエッセンスを、本書『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』を通じてお届けできればと考えています。

 執筆にあたっては、私とともにシニフィアン株式会社を設立した村上誠典、小林賢治、両名とのディスカッションを重ね、2人の知見をおおいに反映しています。
 村上は東京大学大学院在学中に超小型衛星開発プロジェクトに従事。その後、宇宙科学研究所(現JAXA)で惑星探査機「はやぶさ」や「イカロス」の研究に従事した後、ゴールドマン・サックスの投資銀行部門で14年間にわたって、グローバル市場での金融サービスを提供してきたプロフェッショナルです。また小林は、経営コンサルティング・ファームであるコーポレイトディレクション(CDI)を経て、ディー・エヌ・エーで事業側と管理側を含めた幅広い業務に従事し、執行役員、取締役として経営企画やIRにも取り組んできた人物です。

 バックグラウンドが異なる3人ですが、それぞれの実務経験を通じ、「『ファイナンス思考』こそが日本企業が活力を取り戻し、大きく羽ばたくうえで必須である」という課題意識を共有しています。
 『ファイナンス思考 日本企業を蝕む病と、再生の戦略論』が読者のみなさんにとって「ファイナンス思考」を体得し、世の中の企業の活動を理解するための一助となれば、私にとってこれ以上の喜びはありません。