日本代表のキャプテンとして2度のワールドカップを戦ったレジェンド、宮本恒靖が愛してやまない古巣、ガンバ大阪の監督として新たなチャレンジに踏み出した。将来の日本代表監督を含めて、さまざまな可能性が期待された第2のサッカー人生で、指導者の道を歩み始めて4年目。若手選手たちを育てながら勝つガンバ大阪U-23監督から、J1で下位に低迷していたガンバの新指揮官へ緊急昇格したのが7月23日。英才教育を施してきた2年目のホープ、20歳の高宇洋(こう・たかひろ=市立船橋高校卒)をボランチに大抜擢するなど、早くも独自のカラーを前面に押し出しながら、J1残留へ向けて痺れる戦いでタクトを振るう41歳の青年監督の素顔と、胸中に抱くイズムに迫った。(文中一部敬称略)(ノンフィクションライター 藤江直人)
35歳でFIFAの「大学院」に入学
JFAのオファーを断り、古巣ガンバ大阪へ
現役時代よりも長い第2のサッカー人生を、どのようにデザインしていくのか。ファンやサポーターを含めて、日本サッカー界に関わる誰もが宮本恒靖が進む道を注目していた。
日本代表のキャプテンとして、2002年の日韓共催大会、2006年のドイツ大会とワールドカップを戦うこと2度。ガンバ大阪がJ1を制覇し、悲願の初タイトルを獲得した2005シーズンには守備の要として最終ラインに君臨した宮本が、17年間の現役生活に終止符を打ったのは2011年だった。
ガンバからオーストリアのレッドブル・ザルツブルクをへて、2009シーズンからヴィッセル神戸で3年間プレー。スパイクを脱いだ後はコーチングライセンス取得を目指すとともに、2012年夏に国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」に第13期生として入学した。
入学当時は35歳。指導者以外にも自らの可能性を広げていきたい、という熱き思いが、所属しているマネジメント事務所を介して発表されたリリースからも伝わってくる。
「将来に渡ってスポーツ界、サッカー界のさらなる発展に貢献していきたいという自身の夢を実現するためにも、勉強やグループワークに励み、学んだ知識、得た人脈を必ず役立てていきたい」
スポーツに冠する組織論、歴史や哲学、法律などを約10ヵ月に渡って、イギリス、イタリア、そしてスイスにある3つの大学を回りながら学んだ。もともと堪能だった英語力はさらに磨かれ、2013年7月には晴れて修了。元プロサッカー選手の修了生は歴代でも2人目で、元Jリーガーとしてはもちろん初めてとなる快挙だった。