こうした規範について、各人が意見を言うような直接的なことで「圧力」が顕在化するだけではなく、仲間にとってよかれと思って行動すること自体が空気となり圧力となる。その空気の中で、各人が規範から外れることを抑制するようになる。

一人前の技術者から異端児へ

 私自身も同調圧力を経験した。私は社会人となり入社した会社で、写真フィルムの開発部隊に配属された。写真フィルムは「乳剤」と呼ばれる感光体を含む液体を塗布、乾燥して作られる。高度な技術に加えてノウハウの塊であった。

 そのため、開発者が実験作業を遂行するには技術や知識だけではなく、“職人芸”も要求された。先輩職人の技術を早く習得しなければ実験ができない。私は入社してから、無我夢中で仕事を覚えた。

 実はこの過程では、同調圧力はまったく感じなかった。私が「職人芸を覚えた技術者」として、仲間の信頼を勝ち取っていたからである。

 状況が一変したのは、世界で初めての電子カメラの試作品がメディアで発表されてからだ。

 私は、これは写真フィルムに取って代わる破壊的な技術だと直感した。それ以降、写真フィルムの将来について上司や同僚と話すようになった。

 そのころから私は、仲間の行動規範から逸脱し始めたのだろう。上司からは、「余計なことは心配しないで業務に専念するように」と優しく諭され、同僚たちはデジタル写真についての議論に加わらなくなっていった。

 しかし、彼らは声を荒らげるようなことは決してない。先輩も同僚も優しかった。ただ、私の話には反応せず、遠巻きに見ているような雰囲気なのである。私は、職人芸を覚えた技術者から、組織の存続意義に疑問を持つ異端児となってしまったわけだ。

 私は、夜まで実験作業をこなしながら、深夜や週末に電子カメラの基礎技術を勉強する二重生活を続けるうちに、心身共に疲れ果ててしまった。

 これが同調圧力だと分かったのは、社内で自ら立ち上げに参画した、電子映像技術の研究部隊に異動することができてからである。元の組織の共通規範が及ばない他の組織に移って、初めてその圧力を「見る」ことができたのである。