「ちょっと打ってみろ」

 静岡・御殿場西高校からドラフト6位で入団した同期生、小野晋吾とともに昼食時で誰もいない二軍の浦和球場でフリー打撃に臨んだ。そして、終了後に再び山本コーチから声をかけられた。

「お前、今すぐバッターに転向しろ」

 まさに青天の霹靂。福浦が自らの耳を疑ったのも無理はない。ピッチャーとして入団して、まだ一度もマウンドに立っていない。投げることへの未練の方が、はるかに大きかった。

「最初はちょっと受け入れられなかったというか、ちょっと待ってください、という感じでしたね」

 しかし、その後も顔を合わせる度に、華奢な福浦の体に宿る天性の打撃センスに惚れ込んだ山本コーチから「まだピッチャーをやっているのか」と転向を勧められた。そして、7月のオールスター戦前には醍醐猛夫・二軍監督から正式に転向を命じられた。もう断れないと観念した福浦の、プロの世界でバッターとして生き抜いていくための挑戦の日々が幕を開けた。

「左利きということもあって、守るのはファーストだけ。外野の『が』の字もありませんでした。二軍で遠征した時も試合後に特守、浦和に戻ってきても室内練習場でまた特守。寮住まいで時間はたっぷりとあったので、夜には再び室内練習場で今度は特打という感じでした」

 2001年に首位打者を、2003年、2005年、2007年には一塁手として3度のゴールデングラブ賞を獲得。名手と呼ばれるまでに至った下地を作った日々を苦笑いを浮かべながら振り返ったのは、通算2000本安打まで残り88本と迫っていた2016年のキャンプ前だった。

2001年からは6年連続で打率3割
ベテランになっても大晦日まで練習

 背番号が誰よりも大きいこともあって、二軍の試合では「お前はコーチか!」と心ない野次を何度も飛ばされた。4年目の1997年も二軍スタート。キャンプでは裏方さんと同室になり、「裏方のドラフト1位」と囁かれた。球団側に他意はなかったが、福浦本人もさすがに危機感を覚えた。