スコットはくしゃくしゃの笑顔でうなずいた。
「それにしても、ミワたちの世代は大変じゃな。ある統計によると、日本人の平均寿命は今後も10年ごとに1歳近く延びていく見込みらしいぞ。ミワが80歳になるころには、日本人の平均寿命はおそらく90歳を超えているじゃろう。これからそんなに長い期間、大嫌いな『老い』と一緒に過ごさねばならんとは、いやはや……」

私の憮然とした表情に気づいたスコットは、慌てて言葉をつなぐ。
「いや、冗談じゃよ。ただ、今日はせっかくじゃから、お茶に付き合ってくれたお礼に、『老いの不安』を克服するためのヒントを授けよう。
といっても、簡単なことじゃ。それは『相手を知ること』―。不安が起きるとき、そこには必ず、対象についての無知がある。老いるとはどういうことかをよく知らんから、老いの恐ろしさが水増しされるんじゃ。巷のアンチエイジングは、『老いとは何か』に目を向けないまま、そこから逃げ出すことばかりを教えておる。真のアンチエイジングは、老いを科学することからはじまるんじゃ」

なぜグーグルが「老化研究」に!?

ふと目線を上げると、スコットの目は独立した生き物のように私を射抜いていた。それまでの小柄な老人とは印象がまったく違う。
「老いを……科学、する?」
「そのとおり。エイジング(老化/加齢)は、いま最もホットなサイエンス・トピックの一つなんじゃよ。近年のブレークスルー・ポイントになったのは、カリフォルニア大学のエリザベス・ブラックバーンらの功績じゃな。彼女たちはこれにより、2009年にノーベル生理学・医学賞を授与された。
エイジングが“熱い”のは、決してアカデミック領域だけじゃないぞ。あのグーグルの共同創立者ラリー・ペイジは、2013年に巨額資金を投じて、キャリコ(Calico)という企業を立ち上げた。これはエイジングとその関連疾患に関する基礎研究を行う会社じゃ。同社のCSO(Chief Scientific Officer:最高科学責任者)であるデイヴィッド・ボットスタインは、老化細胞の特質を追いかけている。

キャリコのライバルとも言うべきは、非営利のSENS研究財団じゃな。彼らは、加齢を遅らせるだけでなく、人間を若返らせるための科学的手法をも提案しているぞ。そこのCSOである遺伝学者のオーブリー・デ・グレイ博士は、映像ドキュメンタリーThe Immortalistsのなかで『エイジングは病気である』『不老不死は夢ではない』とさえ断言している。彼によれば、すでにいまの60代のなかには、1000歳まで生きることになる人がいるのだそうじゃ。

興味深いのは、エイジングの科学には、さまざまな起業家やら投資家からのマネーが流れ込んでいることじゃな。これには理由が2つある。一つは、エイジングは研究のスパンが長くなるために、公的な研究費補助があまり期待できないということ。そしてもう一つは、人類の永らくの夢である不老不死につながるテーマだということじゃ。SENSなどに多額の投資をしているピーター・ティールは、不老不死の実現に本気で情熱を燃やしておるし、オラクル創業者のラリー・エリソンやフェイスブックのマーク・ザッカーバーグも、エイジングの研究に強い関心を示しておる」

ものすごい勢いでまくし立てるスコットに、私はすっかり圧倒されていた。
ノーベル賞に、グーグルに、ピーター・ティールか……。
たしかにそう聞くと、やはり「エイジング」は現代人たちにとっての最先端の関心事なのだと思わざるを得ない。
それにしても、エイジングをめぐる科学がここまで進歩していたとは……。老化に対する人々の恐怖を煽ろうと「エルピス2」の開発に勤しんでいた自分が恥ずかしくなってきた。