「あえて目立たない」という野党戦術は
政党として終わっている

 ところが、今回の沖縄県知事選の野党側の戦術は、「あえて目立たないようにする」ということだった。野党の幹部議員は玉城氏の応援には来て、単発で演説をして帰っていった。それは、小泉進次郎筆頭副幹事長(当時)や菅義偉官房長官など、大物を次々と応援演説に投入した自民党に比べて、いかにも静かで地味だった。ただし、結果論だが、自民党の「物量作戦」は失敗したので、野党は戦術的には当たったといえるのかもしれない。

 だが、政党とは、政権を獲るためにどんな政策を打ち出すのか、どんな国を作りたいのか国民に提示し、選んでもらうための組織であるはずだ。その役割を放棄して、「あえて目立たない」が戦術で、ただ勝てばいいというのは、政党のあり方としていかがなものだろうか。

 かつて、この連載は「候補者を出さないことが戦略なんて、政党として既に存在意義を失っている。解党すべきではないか」と共産党を批判してきた(第136回など)。沖縄県知事選での野党も、もはや政党として存在する意義自体を喪失していると言っても過言ではない。

 そもそも、「目立たない」でいるということは、目立ってはいけない、後ろめたいことがあるからだろう。実は、野党は国民から受け入れられていないことをよくわかっているのだ。

 数合わせのための「野合」や、反対一辺倒で対案もなく、現状維持のために抵抗を繰り返す「保守」だと若者に揶揄されていること、官僚をいじめるだけで、政権を取っても官僚を使いこなせないことなどが批判されていることを、野党自身が、実はしっかりと自覚はしているのだろう。だから、目立たず、隠れていようとしたのだ。

 そして、「辺野古移設に反対」の玉城氏を支援すると口ではいいながら、国の立場から何をすべきかの提言はなにもなかった。玉城氏が勝利した時、野党の勝利だと大喜びした。だが、その後は玉城氏に孤独な戦いをさせるだけで、知らん顔をするということなのだ。