「そうなるともはや全く“愛玩動物的な存在”ではなく、対等に向き合うべき人間なのだなと。自分の子どもを誰かに話すときに『彼・彼女』と呼び表わすような対等さではなく、向こうの全力にこちらも全力で応える対等さといいますか。

 そういった気持ちで子どもに改めて向き合ったとき、ここまで成長してくれた子どもとその手助けを中心となってしてきてくれた妻が誇らしく思われ、感謝と愛情が一気に胸に迫ってきました。それが子どもがいとおしくなったきっかけです」(Cさん)

 愛情の深さは数値化できないので、推し量るには主観が言語化されたものや日頃の立ち居振る舞いを手掛かりにせざるを得ず、それを測量するのもまたこちらの主観で、つまりどうしたって判定はあやふやになってしまう。にもかかわらず、“子どもを本気でかわいいと思えたのは?”という曖昧な設問対して真剣に答えようとしてくれた諸氏に御礼申し上げたい。

 なお筆者の場合、妻が里帰りから戻り、生後5ヵ月のわが子と朝から夜までほぼ一緒の生活である。オキシトシンも毎日いい具合に分泌されているはずなのだ。

 かわいさでいえば、陣痛でベッドの上をのたうち回る妻の振り乱した髪の毛に執拗にじゃれついていた6歳の猫の方にまだ分があるが、わが子への愛おしさが日々着実に深まってきている手応えは感じている。

 もうしばらく日々を過ごせば、諸先輩方同様、わが子への愛がものすごい深度で炸裂するようになるのかもしれない。