地方局のアナウンサーから一転して、36歳で福岡市長に。
転機は突然訪れたという。
物事のタイミングというのは、
「12月末」「年度末」や「番組改編」など、
ちょうどいい区切りでやってくるとは限らない。
本人も予想だにしないタイミングでの出馬。
30代半ば、いかにして人生の大きな決断をしたのだろうか。

2018年11月の市長選では28万票以上を獲得し、
前回の市長選(2014年)に続いて史上最多得票を更新した高島市長だが、
そこに至るまでの道のりは、第1回の記事のとおり、決して平坦なものではなかったという。

博多駅前道路陥没事故の復旧や、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>

人生の岐路に立たされたとき、いかに決断するのか。
チャンスというのは、自分にとって都合のよいタイミングでやってくるとは限らない。
人生の岐路に立たされたとき、いかに決断すればいいのか

「選挙に出てくれ」―青天の霹靂

「いつかは政治の世界で日本と世界の発展に貢献したい」

 実は、大学生のときからそう考えていました。

 チャンスはいつ巡ってくるかわかりません。ですから、アナウンサーになってからも「今日が最後の放送日」となっても後悔がないようにという意識で仕事に取り組んでいました。
 いずれ選挙に出ることは決めていたので、2009年には九州大学の大学院に入学し、朝の番組の放送後、午後からは大学で政治学を学び直していました。選挙のために体力もつけておこうと思い、大学院の後はスポーツジムにも通っていました。今ではもう無理ですが、当時は毎朝2時半に起きて、夜12時に寝る生活でした。

 私の祖父は、かつて大分県の豊後高田市で市長をしていました。その大好きだった祖父の一周忌の直後、8月のお盆を過ぎたある日のことです。会社の先輩から「会わせたい人がいるからこれから2階の会議室に来てくれ」と言われました。

 私が社内で唯一、将来の政治家の夢を話していた先輩が引き合わせてくれたのが、福岡市議会自民党福岡市議団の重鎮、故・石村一明(いしむらかずあき)市議でした。恰幅(かっぷく)がよく、部屋に入ると強いタバコのにおいがしたのが印象的でした。

「政治家になりたいんだって?」と問われ、私は近い将来に衆議院選に出たいと考えている話をしました。私の話をニコニコしながら聞いていた石村市議は、私の話が終わると突然「福岡市長選に出てほしい」と告げたのです。

 当時は民主党政権下で、福岡市に自民党の代議士は誰もいませんでした。そして当時の福岡市長も民主党推薦だったので、自民党福岡市議団が市長選挙の候補者を探して声をかけても、断られ続ける状態だったそうです。

 石村市議によれば、11月の市長選挙まで時間がなく、9月30日までに決まらなければ、元衆議院議員の山崎拓(やまさきたく)氏が福岡市長選の候補に内定しているとのことでした。

「山崎拓さんは私と高校の同級生だが、私たちのような70を過ぎた年寄りではなく、今の福岡市には若い力が必要なんだ。きみは政治に興味があると聞いている。知名度のあるきみなら短期間の選挙でも勝てる」とおっしゃるのです。

 まさに青天の霹靂でした。