地方局のアナウンサーから史上最年少の36歳で福岡市長に就任。
逆風のスタートから、いかにして福岡を「最強」と言われる都市に改革していったのか?

就任から8年、現在の福岡市は日本のみならず、
世界中から注目される「最強都市」となった。

・人口増加率は東京を抜いて1位
・地価上昇率は東京都や大阪府の約2倍
・政令指定都市で唯一、5年連続で税収が過去最高
・スタートアップ開業率は4年連続7%台(政令指定都市唯一)
・国際会議などの開催件数、8年連続政令指定都市中1位
(2018年10月時点 、人口増加率は東京23区を含む21大都市において)

しかし、そこに至るまでの道のりは、決して平坦なものではなかったという。

博多駅前道路陥没事故の復旧や、熊本地震の際のSNS活用方法をはじめとした取り組みで注目を集める高島市長は、まさしく福岡市の【経営】者だ。そんな彼の仕事論・人生論が詰まった、初の著書『福岡市を経営する』(ダイヤモンド社)から、その一部を再編集して特別公開する。
<構成:竹村俊助(WORDS)、編集部、著者写真撮影:北嶋幸作>

福岡市高島宗一郎市長初当選は36歳、福岡市の現職市長・高島宗一郎氏

市長就任当日のニュースは「前途多難」と報じられ

「経営経験なし、行政経験なし。難問山積の福岡市。前途は多難です―」

 私が市長に就任した日。

 夕方のニュースは、キャスターのこんなコメントから始まりました。続いて市長就任初日の動きや街の声をまとめたVTRが流れます。内容は「福岡市の重たい行政課題」と「軽くて若い市長」を対比させた、さんざんなものでした。

 就任当初から吹いていたのは大きな「向かい風」でした。一般的に、新政権が発足をしたり、新しい市長や知事が誕生したりすると、就任からの100日間はマスコミが厳しい評価を避ける「ハネムーン期間」というものがあると言われています。しかし私の場合、そのような「お手並み拝見期間」はまったくありませんでした。

 新聞もテレビも「反・高島」一色。理由は、挙げればきりがありません。当時は民主党政権だったため、経済界のほとんどが民主党推薦の現職市長を応援していたこと。さらに、その現職市長が地元の新聞社出身だったこと。また私自身も、歴代の福岡市長の重厚なイメージとはかけ離れた、史上最年少の36歳であったことや、行政とは無縁のアナウンサー出身ということもおもしろくなかったのかもしれません。

 当時は、朝起きて新聞やテレビを見ることが本当に厳しい毎日の「修行」でした。
 福岡市に関するネガティブな事柄に関しては「高島市長は」という主語で始まり、ポジティブな事柄に関しては「福岡市は」という主語で始まる。どうしてもなんらかの意図、私への否定的な感情を感じざるをえませんでした。

 テレビをつけると、朝刊記事を紹介するコーナーで、それらの悪意に満ちた記事をご丁寧に拡散していただいている(私自身が直前までその仕事をしていたのですが)。
 ネットを見れば、ネガティブな新聞記事やテレビのニュースを見て誤解した読者や視聴者からのたくさんのご批判コメントであふれている。
 登庁すると、市役所のまわりでは拡声器を使って「若造のくせに!」と、私の批判をされる方が連日のようにいらっしゃる。このような世界はなかなか経験できるものではありません。