インプットは自分が社会(組織)に提供するものであり、アウトプットは社会(組織)が自分に提供してくれる、いわばご褒美・広義の報酬です。

 インプットで一番重要な要素は業績です。その他に学歴、努力、年齢などが含まれます。そしてアウトプットには給与といった報酬のほかに、地位、名誉、認知、称賛などが含まれます。

 そうしたインプットを分母に置き、アウトプットを分子に置いて他人と比べます。その値が他人より大きければもちろん、あるいはイコールであれば人は安心しますが、もし小さいと、不公平に感じるものです。

「自分はこれだけ頑張って、これぐらいしかもらっていないのに、あいつはあれだけの業績であんなにもらっている。私は損をしている」と思う人が大多数です。

 決してこの逆は思わない。なぜならば、人間というものは、自分のインプットは過大に評価し、アウトプットは過小に評価しがちな生き物だからです。それと同時に、他人のインプットは小さく見え、アウトプットは大きく見えるものです。

 この傾向は年を取るにつれてひどくなっていきます。最後には、同じものを食べているにもかかわらず、「自分のステーキのほうが小さい」などと思うようになることもあるほどです。

 日産自動車の前会長カルロス・ゴーン氏が、他の自動車会社の会長と自分を比べ、「20億円がもらいすぎだとはちっとも思わない」と言ったそうですが、本音では「日産を立て直した自分はもっともらって当然だ」と思っていたのではないでしょうか。

自分にとっての
「本当の勲章」は何か?

 かつて、社内に「叙勲局」という部署があった会社があります。歴代の経営者に相応の勲章を賜るように、政府と調整するのが仕事でした。「勲何等」という勲章は、それまでに積み上げてきたその人の社会への功績に対して授与されます。ですから、できるだけ長くその功績を積み上げて、少しでも高い位の勲章が授与されるようにするのが、叙勲局の担当者の仕事なわけです。早すぎてはいけないわけですが、かといって、遅きに失しても意味が減じてしまいます。

 そうして授与される勲章は、アウトプットの中でも非常に重みのある要素であることはいうまでもありません。だからこそ、前の経営者の業績は小さく、勲章は大きく見えてしまうのに対し、自分の勲章は小さく見えてしまうものです。そうした経営者の気持ちを忖度して動くのが叙勲局の担当者であるわけです。

 これもまた、老害の顕著な一例でしょう。我欲の醜さが表れやすい状況です。いわば承認欲求の肥大化ですが、そのことに本人だけは気がつかないものなのです。