元日本代表のトップ就任は初
異例の人事が行われた理由とは?

 選手出身の代表取締役社長は、森島や野々村の他にもいる。来シーズンのJ1では、FC東京の大金直樹が前身の東京ガスサッカー部出身。最年少となる41歳の神田文之も2015年2月に、現役最後の1年をプレーした松本山雅FCの舵取り役を託された。

 それでもワールドカップに臨む日本代表として歴史に名前を刻み、ゴールまで決めた選手がトップに就任するケースはJ3までを含めても前例がない。ましてや森島は、2008年の引退後はセレッソの監督になる夢を公言。セレッソのアンバサダーをへて、2016年からはフロント入りして強化を担ってきた。

 同時進行でJクラブの監督を務めるために必要な、日本サッカー協会(JFA)発行の指導者公認ライセンスをA級まで取得。残るは最難関にして時間もかかるS級に挑む状況だったが、代表取締役社長就任を機に夢を当面は封印する決意も固めている。

 GM職や強化部長などを担うのならば、特に驚かされることもない。それでも組織経営の責任を担うトップとなれば、森島をして「まさかそういう話があるとは思わなかった」と言わしめるほどの青天の霹靂であり、最初に打診された10月中旬には「丁重にお断りを入れた」のもうなずける。

 夫人を含めた周囲に相談を重ねながら、約1ヵ月後には大役拝命を受諾した。21日に大阪市内で行われた臨時の株主総会及び取締役会で就任が正式に承認された森島に、腹を括らせた最大の理由は何なのか。答えは選手、アンバサダー、そしてフロントの一員として間近で見てきたセレッソの歴史にある。

 前述したようにファーストステージで優勝争いを演じた翌2001年に、セレッソはJ2へ降格している。同じ図式はJ1初優勝に王手をかけて最終節に臨みながら、試合終了間際の失点でFC東京に敗れ、一気に5位へ転落する悪夢を味わわされた2005年の翌シーズンにも繰り返されている。