命を削るように必死に働いても、評価されないどころか壮絶にディスられる。普通に考えれば、「ふざけんな」と辞表提出、となるところだが、彼女は限界までブラック労働を続けて、心がポキンと折れてしまった。

 真面目すぎた。頑張り屋さんだった。すぐに辞めると再就職が難しい…。この手の境遇から逃げなかった理由は人それぞれ様々だろうが、その根底にあるのが「罪悪感」だということは明らかだ。

 皆さんも身に覚えがないだろうか。「俺が若い時はこんなもんじゃなかった」「定時に帰るなんて、やる気が感じられないし、周囲の士気が下がる」などなど、会社や上司から言われる「ふわっとした話」を真に受け、「自分は甘いのでは」「自分勝手な振る舞いで会社に迷惑をかけてしまった」と自分が悪いと考えたことが。

 この“罪悪感マネジメント”ともいうべき歪んだ人材育成こそが、実は日本の生産性向上を妨げている最大の原因である。

 労働者が命を削るほど働いて結果が伴わないとなると、論理的に考えれば、そのビジネスや組織に問題があるという結論に至る。だが、日本人は「システム」や「組織」に盲従することを幼い頃からしつけられているので、論理的破綻はすべて「個人」のせいにされる。つまり、「結果が出ないのは、みんなの頑張りが足りないから」と精神論に傾倒してしまうのだ。

 ブラック企業になればなるほど、労働者という「個人」をどんどん追い込んでいくのはそのためだ。

社会システムが狂っているのか
生産性の定義が間違っているのか

 さらにやっかいなのが、この精神論が労働者にまで浸透していることだ。論理的に考えれば、すぐに逃げ出すか労基署に駆け込むべきようなブラック労働を強いられても、「結果が出ないのは頑張りが足りないから」という罪悪感を植え付けられているので、石にかじりつくような勢いでブラック労働に心身を捧げてしまう。

 こんな調子だから、いつまでたっても生産性が上がらない。仕事とはやり甲斐だ、チームワークだ、お客様の笑顔だという「ふわっとした話」ばかりがもてはやされているうちに、賃金は二の次、三の次にされ、気がつけば「低賃金」がビタッと定着してしまったのである。