その後、バブル経済が崩壊し、金融機関は不良債権の処理に追われる。広島市信組も状況は同じ。不良債権の山で新規融資が手に付かず、先の原体験もあり、山本は不良債権を債権回収会社にまとめて売却する「バルク処理」に踏み切る。回収業務を捨てることで、全職員が融資先の開拓に全力投球できる環境を整えたのだ。

 そして今年11月。バブル崩壊やリーマンショックで発生した不良債権を「徹底的に処理できた」(山本)ことを機に、19年ぶりに新しい支店を広島県呉市に設置する。

 その裏では、呉市に本店を構える呉信用金庫の元役員を採用し、営業に投入した。だが、広島市信組の職員全員が汗水を流して外回りし続ける様子を見て、「『わしゃ呉をよう知っとる』と自信満々じゃった(呉信金の)OBがタジタジじゃ」(山本)というほどだ。

 他にも、「金融商品の売り込みではなく、融資をやりたい」と他の金融機関を辞めた職員を採用し、新規エリアに投入した。中には、転職後の過酷な環境になじめず、すぐに辞める者もいる。

 それほどまでに広島市信組の営業部隊の力は凄まじく、新支店が営業を開始する前に「呉市内で450以上の企業を開拓済み」(山本)で、呉信金など他の金融機関の牙城を崩しにかかる算段だ。

100万社が廃業
窮地に立たされた最後の貸し手

 広島市信組を含め、信用金庫と信用組合は下図の通り、営業地区の制限などで銀行とは異なる。地域の中小企業と真摯に向き合い、「最後の貸し手」として支えてきた。だが、こうした精力的な動きはごく一部の話で、今や信金・信組は岐路に立たされている。