津軽と南部──。青森県にある二つの地域の呼び名だが、この名を見て、なぜ信金幹部が息をのんだかピンときた人もいるだろう。
津軽と南部といえば、戦国時代に藩同士が対立して以来、“因縁の仲”とされてきた地域。文化は断絶し、同一県内ながら方言すらまるで異なっている。「それぞれの方言で会話すると、(何を言っているのか理解できず)意思の疎通ができないのではないか」と青森県出身者が苦笑するほどだ。
その3信金の合併では、経営危機にひんした津軽地方の旧あおもり信用金庫が南部地方の旧八戸信用金庫の軍門に下り、その後、南部から旧下北信用金庫が合流した。地域間対立の根深さを知る人ほど、対立を超えた合併劇に驚きを隠せなかったというわけだ。
そもそも株式会社ではない信金や信用組合は、地域の中小企業が株主に相当するため、“地域性”が絶対的な経営指標となりがちだ。事実、当時の青森県でも「県内信金を統一する」と議論が進み、津軽の東奥信用金庫も合流に動いていた。だが、地元企業が総代会(一般企業における株主総会)で「地域性を損なう」と拒否したため、頓挫した経緯がある。
だが、旧あおもり信金のごとく危機に直面すれば、再編にのみ込まれざるを得ない。経営環境の厳しさに「手をこまねいている場合ではない」と、改善策を講ずる必要性を信金幹部は思い知らされた。
こうした信金・信組の合併劇は青森県だけにとどまらない。ここ数年、経営基盤の拡大を目的に各地で再編が加速。信金はこの20年間で140減り、役職員数は3分の2に減少した。信組の数もこの15年間で43減り、役職員数は2万人を割り込んでしまっている(下図参照)。
今年に入ってからも再編の動きは止まらないが、地域によってまだら模様だ。だが、大きく再編にかじを切ったのが、上表の通り、12あるうちの6信金が19年に合併することになった静岡県だ。
なぜ、静岡県なのか。下の再編図を見ながら背景に迫ろう。鍵を握るのは、県内信金界の雄であり、県内最大手の浜松信用金庫が置かれた地域性である──。