標的となった拓銀と私
1997年、北海道拓殖銀行は経営破綻した。
その「最後の頭取」となった著者は、
現在話題となっている日産自動車前会長のカルロス・ゴーン被告と同じ
「特別背任罪」で実刑判決を受け、1年7ヵ月を刑務所で過ごした。
大手銀行の経営トップで収監された例は、他にない。
バブル経済の生成と崩壊を実体験した生き証人は、いま84歳。
後世に伝えるバブルの教訓をすべて明かす。

同窓で同期入行でも
最後まで親しくなれなかった男

【前回からの続き】

 私が考える5人の「A級戦犯」の3人目は、海道弘司元常務取締役(故人・1986年6月~92年6月)
です。
 総合開発部担当として、カブトデコムやソフィアグループなどに直接手を下して、不良債権を増やしました。
 海道氏は北大の同窓であり、同期入行でした。
 父親の海道俊夫氏は、私が入行して最初の配属先となった札幌南支店の支店長で、結婚式の仲人までやってもらいました。
 あのお父さんのような豪放磊落さが、彼にもあればよかったと思います。
 同じ時期に常務取締役になり、机を並べたこともありましたが、結局は最後まで彼とは親しくなることはありませんでした。

 4人目は、秋田甫元常務取締役(1985年6月〜90年6月)です。
 彼は「バブルの申し子」のような男でした。
 私の個人的な意見ですが、自分勝手に動き回ったと言われても仕方がない振る舞いで、いいかげんな不動産関連融資をとりまとめ、のちに多額の不良債権となりました。
 彼は東京業務本部長でしたので、私が東京で取締役をしていたときの上司にあたります。
 審査も営業もみる本部長としての権限を、悪い意味で活用したといえます。
 1991年から93年まで雪印乳業の監査役を務めていましたが、不良債権の責任をとって辞めてもらいました。
 その後、どうなったのかは知りません。

バブル経済は人を
こんなにも変えてしまうのか

 5人目は、たくぎん抵当証券の村瀬徹元社長(故人)です。
 彼は拓銀本体では取締役を経験していません。
 融資審査の経験が長く、堅くてしっかりした人物として、84年に子会社の抵当証券を設立した時から社長に送り込まれた人物です。
 しかし、彼は豹変してしまった。
 私も彼の審査管理部長時代の仕事ぶりなどをみて「拓銀一の堅い人」と信頼していただけに、バブルが人間をこんなにも変えてしまうのかということを痛感させられました。
 ある時、彼が銀行に来て、こう語っていたことを憶えています。
「拓銀には宝物が二つある。一つはコンピューターシステム。もう一つはたくぎん抵当証券だ」と。
 その宝物が最大の不良債権の巣窟となっていたわけですから、笑うに笑えない話です。

 バブル期の拡大路線を支えた鈴木茂元会長(1966年5月~95年6月)がA級戦犯に入っていないのを、不思議に思う人がいるかもしれません。
 佐藤、海道の両氏とともに「SSKトリオ」と呼ばれていた彼ですが、私は、破綻の「遠因」をつくったにすぎないと認識しています。
 先の5人が絞首刑とするのであれば、鈴木氏は無期禁錮程度だと思います。