もうひとつ、指示がなかったとする根拠に「内田前監督は宮川選手の危険タックルを見ていなかった」「井上コーチとの『やりましたね』『おう』の会話があったとされる証言も確認できなかった」とある。これが警察庁・検察庁の公式な見解がどうかはまだ定かでないが、これを根拠とするなら開いた口が塞がらない。事前に犯罪を教唆した人物が、わざわざその行為を凝視するだろうか。むしろ目を背け、知らなかったと後で言える証拠を作る心理が働くほうが自然だ。

 しかも、その場で「やりましたね」などと、わざわざコーチが言いに行くなど三流映画でもあり得ない。せいぜい遠くから目配せする程度のものだろう。それなのに「見ていなかった」「会話があったとは言えない」などという言い訳を根拠にするのが論理的とは到底思えない。

 刑事訴訟のハードルは高く、起訴されたら99パーセント有罪となる。だからこそ、有罪の確証がないと起訴されないと聞く。だが、今回の判断で「警察は信用できない」「警察は善良な人間を守ってくれない」という印象を与えたことは事実ではないだろうか。警察と検察の論理や冷静な判断の一方で、訴訟や司法の実態を詳しく理解できていない大衆の気持ちに配慮するのも彼らの使命ではないか。明確な説明を検察庁からしてもらうことが大切だと思う。

本来、警察に持ち込むのが
ふさわしい事案だったのか

 江川さんがYahoo! Japan のコラムで述べたように「こうした調査報告では十分な真相解明ができていない」と考えるなら、今回の捜査結果を踏まえて、補足調査をするよう求めればよいと思う。ただ、それを行うのは警察の役割ではない。「真相解明」をすべて警察に持ち込まれても困るだろう。

 そもそも、今回のケースは、「本来、警察に持ち込むのがふさわしい事案だったのかも疑問だ。」とも書いている。これにはまったく同感だ。被害選手の父親が刑事告訴をしたのだが、結果的にはこれが不起訴になったことで、むしろ内田前監督の身の潔白を証明するような形になっている。