ほかに、昨年春の選抜大会からは延長を12回までとし、13回以降はタイブレークを実施している。

 いずれの規定も日本高野連の主導で実施されたが、新潟県高野連の試みは各都道府県の高野連として独自で、しかも公式戦で初めてとなる取り組みだったことが、関係者には驚きをもって迎えられた。

曲がったままの肘で行進

 新潟県では高校野球の大幅な部員減少が懸案となっており、対策として「新潟県青少年野球団体協議会」を設立し、故障予防などの課題に取り組んできた。

 そして、協議会が県内の小学校から高校までの部活動やスポーツ少年団、リトルリーグなどのチームを対象としたアンケートで、投手の投球数制限の導入に肯定的な回答が85.2%に上ったという。

 新潟県高野連と同協議会の会長を兼務する富樫信浩氏は昨年12月22日の会議の後、記者団に「将来ある子どもたちが、途中で野球を断念してしまわないようにするのがわれわれのするべきこと」と話していた。

 ここにきて急に投球数制限に関する議論が高まったのは、やはり昨年夏の甲子園での金足農の吉田輝星投手の投球があったのではないか。吉田投手は秋田大会5試合で636球を1人で投げ抜き、甲子園でも計881球を投じた。決勝戦の対大阪桐蔭戦は明らかに本来の制球力ではなかった。

 ほかに06年の夏の甲子園で早実の斎藤佑樹投手が948球、前述の松坂投手が782球を投げている。いずれも現役のプロ野球投手として活躍しているが、投手としての道を絶たれた選手も少なくない。

 高校野球ファンならご記憶だろうが、投げ過ぎによる被害者として最も知られるのが、91年の夏の甲子園に出場した沖縄水産の大野倫投手だろう。

 3年春にダブルヘッダーの練習試合で18回を完投した数日後、肘に激痛が走る故障を発生。しかしこれを隠して練習を続けたとされる。県大会では痛み止めを打ちながら登板。第73回夏の甲子園でも本来の制球力がない状態で投げ続け、決勝までの6試合すべてで完投し、36失点しながら773球を投げ抜いた。

 決勝後の閉会式で、曲がったままの右肘で行進する痛々しい姿を覚えている方も多いと思う。