事故調査委で自分の責任を明言せず
菅元首相に問う「リーダーとしての自覚」
先週、東京電力福島第1原発事故を検証する国会事故調査委員会が、菅直人前首相を参考人招致した。参考人としての菅氏は、事故の責任は国にあると陳謝したものの、「全ての責任は、リーダーだった自分にある」とは決して言わなかった。
むしろ、3時間近くに及んだ質疑では、自身の判断の正当性を強調することに終始した。つまり、同氏は“国”という組織が悪いのであって、リーダーである自分の判断は正しかったと言っているようなものだ。
今回の調査委員会の質疑応答を見て、多くの国民は、「予想通り、典型的な日本型リーダーの失敗作だ」と思ったことだろう。残念だが、我々の眼に映った参考人が、当時のわが国のリーダーの偽らざる姿なのだ。
リーダーたる人材が、そのような姿勢を示していたのでは、不測の事態が起きたとき、国という組織が迅速に、有効な対応策を実行できるだろうか。極めて疑問だ。
リーダーとはいったい、どういう機能を果たすべき人物なのだろう。欧米のビジネススクールなどでは、「管理者と経営者=組織のリーダーとは大きく異なる」とよく言われる。一般的な定義として、特定部門の管理者とは、当該部署の部下を、組織のルールに従って業務の遂行に当たらせることが主な役割期待だ。
一方、組織の経営者は、まず組織の目的を明確化する必要がある。それに基づいて組織全体が進むべき方向をわかり易く示し、組織内でコンセンサスをつくることが必要だ。
さらに、全体の目的を部署ごとの目標に細分化し、それぞれの部署が目的を達成できるように環境整備をしなければならない。また、組織が長期的に上手く活動できるように、人材の育成も行なわなければならない。リーダーとは大変な仕事なのである。
昔、中小企業の経営者と酒宴の席で気さくに話をしていたとき、彼は「太陽に背を向けて立つと影ができる。その影そのものが組織なんだ」とつぶやいた。