高校卒業後の数年間、『上海オークラ』内の有名日本料理店『山里』で修行を積んだ丁はもともと、社長ではなく料理人になりたかったのである。しかし、最初の店が当たると、デパートや商業ビルなどから次々と引き合いがくるようになった。

「鉄板焼きに目をつけたのがよかった。当時の中国には、お客さんの目の前で料理を作る文化なんてなかったから、みんな大喜びだったね」

 店内は常に満席。ガラス張りの店舗の外にも多くの“ギャラリー”が詰めかけ、連日大騒ぎだったという。丁は続ける。

「俺、ケチじゃないけど、根が慎重派なの。周りには『出資するからどんどん店を出せ』と言ってくる人が群がってきたけど、俺は乗らなかった。商売は遊びでも投資ゲームでもない、戦争だよ。時に中国では、少しでも隙を見せたら足元をすくわれ、根こそぎ持って行かれてしまうからね」

 そんな丁が勝負に出た。

全国展開の契機は上海ヤオハンと
反日の空気が濃い南京での成功

 95年、急速に開発が進められていた上海の浦東新区に、日本のヤオハンが、当時アジア1の巨大百貨店と言われた「Nextage Shanghai 新世紀商場」を開店。初日にいきなり107万人もの客が押し寄せ、世界的なニュースとなった。

 丁はここに5店舗目の出店を決めた。2000年のことである。 

「デパートの9階、1500平方メートルの大箱。すごい広いよ。家賃もケタ外れ。客が入らなかったら、おしまいだよ。金の問題もそうだし、あのヤオハンで失敗したらイメージ失墜でしょ。もう商売できないよ」

 しかし、丁の不安は杞憂に終わり、店は連日の大盛況。ヤオハンのブランド力もあり、店には中国全土から客が集まった。この成功により丁は大いに自信を深め、全国展開への野心に火がついたと振り返る。