まれに、「霊感が強くなると特殊な世界に行けるかも」という願望の色濃い人がいます。

 見えることに憧れているとでも言いましょうか。
 でも、それは面倒くさい人生の始まりになることを意味します。

 僧侶になるのでもない限り、できれば感じないに越したことはありません。
 自分の先祖などなら、温かくて心地よく感じられるものなので、かまいません。
 しかし、まったく何の関わりもない存在を見てしまうと、とても生きづらくなります。 「見えること」に憧れをもたないことが一番です。

 仮に、そういうものが次々に見えるようになったとして、では何ができるかというと、早い話、僧侶になるなどしか埒が明かなくなってしまいます。
 見たり感じたりしてできることと言えば、迷ってる方々を仏さまにおつなぎすることしかないのです。

 私もかつては見えることに悩まされ、困り果てていたことがありましたが、僧侶になったことでむやみに見ることはなくなりました。
 私は見えることがあまりにも嫌だったので、「見えるのが嫌なんです、見えないようにしてください」とお大師さまにお願いして、ふだんは見えないようにしてもらいました。

 ただし、僧侶とは、必ず他者を助けるべき者です。
 毎日、この世への執着が強く、飢餓感に苦しみながらさまようものたちを供養する施餓鬼などをして、わざわざ呼び寄せてでも、「さあ、今からご飯を食べてあっちに行くんだよ」と言って仏さまに成仏をお願いするのです。
 見えてしまえぱ、それは助けを求めて寄ってきます。覚悟がないとできません。

「見えることに憧れはあるが怖いんです」
「どうしても見えてしまいます」
 と言う相談者には、僧侶になることをすすめるしかありませんが、僧になる覚悟まではないという人には、私はこうお答えしています。