人工知能に必要なのは「煩悩」

マインドフルネスを「筋トレ」から「オーガニック・ラーニング」へ藤田一照(ふじた・いっしょう)
1954年、愛媛県生まれ。灘高等学校から東京大学教育学部教育心理学科を経て、大学院で発達心理学を専攻。院生時代に坐禅に出会い深く傾倒。28歳で博士課程を中退し禅道場に入山、29歳で得度。33歳で渡米。以来17年半にわたってマサチューセッツ州バレー禅堂で坐禅を指導する。2005年に帰国し、現在も坐禅の研究・指導に当たっている。2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。スターバックス、フェイスブック、セールスフォース、グーグルなど、米国の大手企業でも坐禅を指導する。著書に『現代坐禅講義』(KADOKAWA)、共著に『アップデートする仏教』(幻冬舎)、『禅の教室』(中央公論新社)、『生きる稽古 死ぬ稽古』(日貿出版社)、『退歩のススメ』(晶文社)、『感じて、ゆるす仏教』(KADOKAWA)、『安泰寺禅僧対談』(佼成出版社)、『仏教サイコロジー』『マインドフルネスの背後にあるもの』(サンガ)などがある。

藤田 ところで三宅さんにお目にかかったらうかがってみたいと思っていたのですが、人工知能を悩ませることってできるんですか? 

「自分はなんで生まれてきたんだろう」とか、私たちが当たり前にやっている「悩む」ということがわからないと、人工知能が人間に近づくことは難しいのではないですか。

三宅 ええ、まさにそのとおりです。人間は悩みますし、煩悩から逃れたいと思っている。でも、人工知能というのはこの世界になんの執着もない。たとえば人工知能をつくってゲームの中においても、そのままでは何もしない。プレーヤーもこの世界も、人工知能にとっては意味がないので。

 私がやっているのは、「あのプレーヤーを憎んで倒してこい」とか「お前の陣地は絶対に守らなければならない」とか、そういった執着を人工知能に教えることなんです。そうすることでどんどん動きはじめるんですね。ですから人工知能の開発者がやっていることというのは、どうやったら人工知能にこの世のしがらみを与えるか、執着をさせるか、ということ。

 人工知能には、私たちのような「身体」がない。だから欲求がない。そこが人間らしくないところなんですね。人工知能を人間らしくするためには、むしろ「煩悩」が必要なんです。

藤田 「身体」というのは、知覚装置としての身体ということでしょうか。

三宅 あるいは世界に対して主体的に働きかける「実体」といいますか。今の人工知能は自分で問題を作る能力がないんです。全部の問題が人間から与えられていて、それを解くという装置になっている。主体的に生きていない人工知能が主体性を持つことができれば、自分で問うことができる。今、人工知能がたくさん情報を与えられて難しいことを解いていくという段階はほぼ終わっています。

 次の発展としては、いかにして自分で問うという能力をつけるか。これは人工知能ができて以来、60年の悲願でもあるんですよ。そして主体的に生きるにはやはり身体というものが必要になってきます。

 今ある人工知能ロボットは身体を持っているように見えても、その身体は知能から完全にコントロールできるものなんです。つまり身体としては、完全に知能に隷属してしまっている。身体というのは本来、ある程度自立性を持っているものなんです。身体の中に知能があるわけですね。

藤田 それはすごくわかります。私も瞑想や坐禅の指導をしているときに、人の体もAIロボットのようになってしまっている、と感じることがあります。それでは瞑想・坐禅にはならない。生きている物質としての身体の言い分をきちんと聞くという態度でやらなければならないんです。

 瞑想や坐禅では呼吸を観察するのですが、体を道具視している近代の身体観を持った人たちがやると、呼吸の感覚をアグレッシブに取りにいこうとしてしまっている。そういうアプローチをされると、体は嫌がるというか、呼吸を探しにくくなる。むしろ探そうとしないで、自分はその場にいてやってくるものを迎え入れる。そういう態度でいると体は自由にしていいんだと感じ、いろんな感覚を届けてくれるんです。

「我思う、ゆえに我ここになし」――考えすぎると自分を見失う

三宅 近代自我が始まったデカルトの「我思う、ゆえに我あり」の思想から、身体と自我が分かれ、世界と自我が分かれ、「意識が王様」になってしまったんですよね。そして意識してしまうと、ちゃんと見えなくなってしまう。

藤田 ええ。逆に仏教の課題というのは「意識の外を意識する」ということなので、デカルトの言い方で言うと「我思う、ゆえに我ここになし」。つまり考えてしまうから自分を見失ってしまうんです。

三宅 すばらしい名言ですね(笑)。

 西洋の古典的な近代哲学の上に立っている今の人工知能では、「考える主体以外の主体がどこかにある」という考えがないので、結局単なる思考マシーンになってしまっている。人工知能にはかねてからフレーム問題という重要な課題がありますが、「枠」から逃れられないんです。

 人間が設定した問題からちょっと外に出ただけで、人工知能は対処できなくなってしまう。ロボットが滑稽にみえるのは、人間は枠の外のことがわかっているのにロボットはひたすらその枠のなかで何かをやることしかできないからです。掃除中にいきなり洗濯物が飛んできても、プログラムになければ掃除ロボットにはお手上げ。現実世界には無限の雑音があるから、人工知能は現実が苦手なんです。

 それならその現実を先にデータ化してしまえばいいのでは、というのがグーグルなんかがやろうとしていることなんですね。最初にすべてスキャンしてしまって、全部を「意識にのぼらせて」しまおう、と。人間のように無意識のうちにうまく解決手段を考えることはできませんからね、人工知能には。