日本では横行する
アクセスジャーナリズム

 もちろん、郵便不正事件で起訴された元厚労官僚の村木厚子氏のように、無罪判決で名誉回復がなされケースもなくはないが、あれは検察側が証拠の捏造という、日本中がひっくり返るインチキをしていたことが大きい。

 このような捜査機関側の失態でもない限りは、マスコミ人民裁判で「犯罪者」認定された人物が、社会的に名誉回復や地位回復した例はほとんどない。もちろん、支援者やシンパはたくさんできるが、「裁判でうまく逃げただけでしょ」という目で見られ続けるのだ。

 そういう前例を考えると、ゴーン氏に対する日本人の評価は、これからの裁判の結果でそう変わることはないのではないか。

 では、なぜ平成の世になっても「人民裁判」が続くのか。ポイントは2つある。「記者クラブ」と「長期勾留」だ。

 閉鎖された世界の中で、特定の記者たちの間で特ダネ競争をしなくてはいけないので、検察担当記者は、どうしても検察のリークに依存していく。財務事務次官に呼び出されると、仕方なく酒に付き合わなくていけない女性記者と同じで、「忖度」ができてしまう。

 こういう情報源とズブズブの関係になることを、世界では「アクセスジャーナリズム」と問題視してきたが、日本ではどういうわけか、「我ら選ばれたエリートが取材しないと、デマ記事が横行する」と国民を脅して、こういうスタイルを続けてきた。

 そして、このアクセスジャーナリズムが度々、ひどい人災を招いてきた。わかりやすいのが、オウム真理教がサリンをばらまいたのに、第一通報者の河野義行さんが罪を着せられた、いわゆる松本サリン事件だ。マスコミによって、犯人に仕立て上げられた河野さんは、この問題の本質を的確についた発言をされている。

「その人物が無罪である可能性を探るのが本来のマスコミの仕事だが、警察の情報をうのみにし、疑惑の補強材料ばかりを探し、『推定有罪』で動いている」(朝日新聞北海道版2002年6月9日)