Photo by Sachiko Hotaka
2006年、米国。キャリーバッグに着替えとカメラとレンズ数本を入れて、ソニーのデジタルカメラ設計エンジニアの宮井博邦はその日も成果の出ない店舗行脚を続けていた。
バッグの中には、発売されたばかりの一眼レフカメラα-100と、パンフレットがどっさり入っていた。α-100は、ミノルタ(当時)から買収した一眼レフカメラ事業のマウント(カメラのレンズとボディーを接続する機構)を継承して、初めてソニーが世に出した一眼レフカメラだった。
全米ほとんどの都市を、足を棒にして回る宮井。だがバッグの中のパンフレットは全く減らない。何しろ、店舗に営業しようとしてもアポすら入らないし、どの担当者も話すら聞いてくれない。
それもそのはずだ。当時、一眼レフカメラはキヤノンとニコンという二大メーカーがほぼ全てのシェアを占めていた。この市場でほとんど存在感のないミノルタのマウントを継いで、これまでコンパクトデジカメしか出したことがないソニーが作った一眼レフカメラには、誰も見向きもしなかった。
宮井はテレビの機構設計からキャリアをスタートし、2000年にデジカメ部門に異動した。自分で設計したカメラを売るために、世界のカメラ市場の主戦場である米国のマーケティングの現場に自ら乗り込んだのだ。だが何もできないまま1年が過ぎていった。