当時の作品を収録&付録競争も描写
漫画史の理解も深まる

 私は1954年生まれで、A氏のちょうど20歳下だ。A氏とF氏が上京し、手塚治虫の紹介で有名なトキワ荘に入居した年が1954年、「海の王子」連載開始が59年だというから2人は25歳だった。

 読者の私は5歳と幼児ではあったものの、じつは毎週読んでいた。父親と叔父の2人が漫画狂で、「週刊少年サンデー」も「週刊少年マガジン」(講談社)も創刊号からウチにあったからである。

 本作を通読すると漫画史の理解も深まる。この自伝は週刊少年漫画誌の創刊期で終わる。つまり、トキワ荘に入居した1954年から59年まで、漫画の主戦場は月刊誌と貸本だったのである。A氏は、この自伝の中で、当時の作品をいくつか丸ごと収録している。これがじつに面白い。現物を転載しているので、この自伝そのものがアーカイブになっているわけだ。

 例えば、私のお気に入りは文庫版『まんが道』第13巻に転載されている16ページの読みきり作品、「ゼンダ城の虜」だ。これは当時の学年誌に掲載されたものだという。

 A氏は記録や日記をよく保存しており、フィクションを交えた作品だとはいえ、すぐれた歴史叙述となっている。

 当時の月刊漫画誌は付録の競争が激しく、B6判64ページ前後の別冊付録の漫画作品を5、6点付けていたそうだ。B6判といえば、現在のコミックとほぼ同寸。これが数点も付録だったのである。

 本作を通して、別冊付録の制作に追われている様子が出てくる。しかも、連絡手段が電報しかなかった時代なので、編集者が突然トキワ荘に現れて、A氏とF氏に付録の依頼をする場面がけっこう多い。「○○センセイが描けなくなったので、代わりに1週間で仕上げてくれ」、というような依頼だ。

 1950年代に藤子不二雄が活躍した月刊漫画誌とは、「少年画報」(少年画報社)、「漫画少年」(学童社)、「冒険王」(秋田書店)、「ぼくら」(講談社)、「少年」(光文社)、そして小学館の学年誌である。