この低迷が続いていた頃、日本のトップリーグは実業団チームが戦うアマチュアの日本リーグだった。この構図はサッカーやバレーボールなど他の競技も同様だったが、サッカー界が、「アマチュアのままでは強化が進まない」とプロ化に舵を切り、1993年にJリーグがスタートする。その効果はすぐに現れ、アジア予選を勝ち抜き1998年フランスW杯に初出場を果たした。

 バスケットボール界もそれに刺激を受け、プロ化の話が出るようになったが、浮かんではつぶれるの繰り返し。プロ化が進まなかったのはアジアでも低迷していた現実と、「バスケットボールではプロ化しても世界と対等に戦うのは無理」という思い込みがあったからだろう。

 いうまでもなくバスケットボールは身長の高さが明らかなアドバンテージになる競技。その頃の日本リーグの選手も大型化は進んでいたが、それでも190センチ台。強豪国は2m超の選手が当たり前だ。サッカーならサイズのハンデを技術で克服できるが、バスケットでは難しい。そんな諦めに似た思いがあったといえる。また、大きな投資をしてプロ化しても観客が呼べなければリーグの存続は難しい。そのリスクを負う勇気がなかったのだ。

プロ化推進派が強硬手段
2つのトップリーグ併存の事態に

 このようにプロ化に消極的な実業団チームにつき従うだけのJBAに業を煮やしたプロ化推進派が行動を起こす。2005年、プロのbjリーグを立ち上げたのだ。ここで日本の男子バスケットボールのトップリーグは従来からのJBLとbjリーグのふたつが併存するいびつな構造が生まれた。

 ただ、日本に統一されたプロリーグができるチャンスは1度あった。2006年の世界選手権(現在のW杯)日本開催だ。日本に強豪国が集まり世界一を争えば、バスケットボール人気は高まる。大会の成功がプロ化の流れにつながるというわけだ。

 ところが、この目論見は失敗に終わった。バスケットボール世界選手権といえばサッカーW杯と並ぶ国際的大イベントだ。2002年に行われたサッカーW杯日韓大会では日本国中が盛り上がった。だが、その4年後にバスケットボールの世界選手権が日本で開催されたことを覚えているどころか、知らない人も多いはずだ。

 なお、この大会が行われていた当時日本のスポーツファンが注目していたのは、夏の甲子園の決勝、早実―駒大苫小牧戦の斎藤佑樹と田中将大の投げ合いだった。国際大会が高校野球に完全に負けていたのだ。イベントを成功させるには何年も前から注目度を高める活動が必要だが、それを積み重ねる熱意に欠けていたというしかない。

 また、採算も合わなかった。世界中のバスケットファンは来たものの日本の観客は少なかったことに加え、予選ラウンドは札幌など4都市、決勝ラウンドはさいたまスーパーアリーナと分散開催だったため経費がかさみ、13億円もの赤字を出したのだ。

 FIBAからすれば、世界選手権という大イベントの開催権を与えたにもかかわらず、まったく盛り上がらず、大赤字まで出したJBAには大恥をかかされたようなもの。信用は失墜したといっていい。