「鄧小平同志は指摘した:“毛沢東思想という旗を失うことはできない。それを失うことは我々の党の輝かしい歴史を否定することにほかならない。我々の党は歴史上、特に建国以降の30年のなかで大きな過ちを犯してきた。‘文化大革命’のような大きな過ちすら犯したことがある。しかし、我々の党は最終的に革命を成功させた。中国の世界的地位は中華人民共和国建国後に著しく向上したのであり、初めて世界の4分の1近い人口を持つ大国が世界で立ち上がり、しかもしっかりと立つことができたのである”。

 彼は更に強調する:“毛沢東同志への評価、毛沢東思想への論述は毛沢東同志個人の問題だけではなく、我々の党、国家全体の歴史と分けて語ることはできない。この全局を見なければならない。これは理論問題という以上に政治問題である。国内的にも国際的にも大きな政治問題である”。

 考えてみてほしい。仮に当時、全面的に毛沢東同志を否定したとして、我々の党は、我々の国家の社会主義制度は生き延びられただろうか?仮に生き延びられなければ、天下は大きな混乱に陥っただろう。故に、改革開放前後の社会主義の実践と探索の関係を正しく処理することは歴史問題であるという以上に、政治問題なのである」

“文化大革命”を「大きな過ち」として認めるというのは、共産党にとってのボトムラインであろう。ただ最近、それを肯定的に見る向きや、あたかもその時代に戻るかのような政治的風潮が蔓延しているのは気になる。特に、日を追うごとに広がり、深まる習近平への個人崇拝は、中国の政治が制度ではなく運動によって、規則ではなく衝動によって左右されてしまう危険性を露呈している。

 改革開放という進路を引き続き発展させることは、“鄧小平路線”を継承することに他ならないと言えるだろうが、“文化大革命”を引き起こした張本人である毛沢東を否定することは共産党の原理原則としてはできない。なぜならそれをすることで、政党としての団結と正統性を保つことができなくなるからということなのだろう。

 この論述から、共産党内で“毛沢東”を引き合いに出しながら改革開放、市場経済、市民社会、普遍的価値観、制度改革、教育の国際化、そして政治の自由化など“左”の勢力から見れば“右”に映る政策を弾圧しようとする動きが生じる土壌が、常に存在するという現実を見出すことができるのである。