毛沢東路線を継承する習政権と日本は共通の利益を見出せるだろうか

 7月1日で創立95周年を迎えた中国共産党は、習近平総書記のリーダーシップの下で「初心に戻る」ことを強調し、党内の引き締めを続けている。その際に習総書記は毛沢東の考え方を引いて、個人の利益よりも公の利益を優先させる清廉潔白な党員・幹部像を説いている。党の建設で毛沢東思想を継承している習総書記だが、外交政策でも同路線を継承している。現在の習政権は周辺諸国との連携を強化する一方で、大国にはものを言っている。

 筆者は、「共産党は理論の党であり、それは創設期から受け継がれている」と他のコラムでも述べてきた。習政権の堅持している理論も中国共産党の公式見解がいうように鄧小平理論だけでなく、毛沢東思想も継承している。とくに相手国が「底線(最低ライン)」を越えたときの闘争はすさまじいものがあるが、それも毛沢東の闘争の哲学を体現しているといえる。

 中国と日本は政治体制が違うため、中国共産党は何をやろうとしているのかわかりにくく、「理解しがたい党」と見られてしまう。本稿では習政権が毛沢東外交のどの部分を継承しているか、中国共産党の「底線」を越えた者に対する闘争について概観し、日本との関係についても考えてみたい。

闘争性を備えた毛沢東外交
その一方では現実的外交も

 習外交について見る前にまず毛沢東外交の特徴について見ていこう。毛時代と現在とでは時代背景や国際環境が違うため、単純に比較できないが、その理念は現在の政権にも受け継がれている。毛外交の特徴を筆者なりに整理してみると次の通りである。

 第一に、革命を主とした外交である。毛沢東時代は国際共産主義運動が存在しており、その目標は世界革命の実現だった。毛沢東率いる中国共産党はアジア・アフリカ諸国を半植民地国家と認識し、これらの国々の革命を支援する「プロレタリア外交路線」をとり、武装闘争を主とする革命路線を押し広めた。文化大革命期の中国外交はイデオロギー的要素が非常に大きくなり、アジア・アフリカ諸国に武装闘争を主とする革命を呼びかけるという「革命輸出」だった。

 第二に、自主独立外交を展開しつつ、周辺地域との関係も強化したという点である。毛沢東はソ連が創設したコミンテルンの主張する都市プロレタリアートによる革命路線には依拠せず農村を主体とする独自の革命を目指した。中国共産党の「自主独立」外交は新中国成立後も受け継がれた。「自主独立」は国家主義の現れであり、それは社会主義国の理念である国際主義に反するともいえるが、毛自身は「愛国主義と国際主義の結合」を主張しており、国際主義の精神によって近隣諸国との関係も重視していた。