「見返りを求めないおもてなし」は
普通に考えればありえない

 ところで、誰かを家に招いて、おもてなしをするとき、

「自分の家にいるつもりで、ゆっくりくつろいでくださいね」

 と、ついつい口走ってしまいませんか?

 それはあくまで建前であり、もてなす側の本音としては、本当にくつろがれては困ります。家でやっているように、ソファに寝転がり、テレビのリモコン片手にダラダラとし、冷蔵庫を漁られては、たまったものではないでしょう。

 結局のところ、みずからの家に、無条件に、他者を迎え入れることは不可能です。ジャック・デリダという哲学者はそのように説明します。

 では、どんな条件が整えばいいのでしょうか。

 第一に、自分の家を持ち、権力を持つこと。

 第二に、招く相手の名前や素性を知っておくこと。

 この状況が整わずして、ホスピタリティを提供することは不可能です。

 さらに言えば、「見返りを求めないおもてなし」が美徳とされますが、これもまた、普通に考えればありえないことです。

 たとえ、もてなした側が見返りを求めないつもりでも、もてなされた側は「やってもらった感」で心がいっぱいです。感謝や喜びと同時に、なんらかの負債を負ったような気にもなります。「何かお返しをしなくては」という結論にいたるのは自然なこと。