引きこもりを「変える」のではなく
そのままで暮らせる社会づくりが重要

「引きこもりにもっと理解を」「社会みんなで手を差し伸べましょう」というのは、一見すると引きこもりの人たちに優しい社会ではあるのだが、他方で、引きこもりの人たちに「俺は社会から気を使われる存在」だと思わせて、その強烈な「被害者意識」から「暴走」をさせてしまう恐れがあるのだ。

 以上が、引きこもりの「自立支援」がよくない理由である。

 この手の話が注目が集めると、お約束のように「引きこもりというレッテル貼りはやめるべき」「引きこもりの人たちへの差別や偏見を助長するような言葉は控えるべき」とか騒ぐ人たちがいる。

 その主張には何の異論もないが、そのような優等生的な意見だけでは何も変わらないという現実も直視すべきだ。

 まずすべきは、引きこもりの人たちを「変える」とか、どうにかして社会に適応させるなんて、「上から目線」の傲慢な考え方を捨てることだ。

 一方で、過度な哀れみや配慮もやめるべきだ。引きこもりの人が傷つくので、これを言うな、ああいう問題と結びつけるなと「タブー」扱いをしても、本人たちがいらぬ勘違いをするし、口を封じ込められた人たちの憎悪も増す。何もいいことはない。

 そういう「弱者を守れ」的な政治運動に利用するのではなく、引きこもりという人たちのありのままを受け入れればいい。そして、彼らの生き方を持続できるシステムを整備するだけでいいのだ。

 そうすれば、高齢の親に寄生することなく、1人で引きこもることができる。多くの悲劇が家族間で起きているという現実に鑑みれば、我々が目指すべきは、「引きこもりのいない社会」ではなく、「家族と離れても引きこもりができる社会」ではないのか。